鹿児島市の女子生徒が中学時代、担任の教員にポニーテール禁止の理由を尋ねたところ「男子がうなじに興奮するから」と説明されたという記事が今年3月、南日本新聞に掲載され、物議を醸した。合理性を欠いた校則は、これだけではない。女性セブンには全国から1000以上の珍しい校則が寄せられ、約7割の読者が、理由に納得がいかずとも、教師怖さに守ってきたという。
「校則は“生活指導基準”で、法的根拠はありません」
と話すのは、校則研究の第一人者である名古屋大学教授の内田良さんだ(「」内、以下同)。
校則は校長が決める独自ルール。法的根拠どころか基準もあいまいなものもチラホラ。
昭和に確立、平成で厳格化、令和は──
ではいつから、そしてなぜ、校則は作られたのか。
1872(明治5)年に近代的学校制度を定めた教育法令「学制」が公布され、翌年に師範学校が日本初の校則「小学生徒心得」を編集。これが校則の原点とされている。内容は生活習慣を指示したもので、現在のものとは異なる(後述)。
「1960年頃までは、服装などの規則を設定しても買えない人が多く、細かく決められていませんでした」
しかし、学生運動の盛り上がりにより、教師に反発する生徒を取り締まるため、学校は生徒の管理を徹底。厳しい校則を作り出していった。いまに残る服装や髪形などの規定はこの頃に確立したという。
「1990年代にはテストの点数に加え、意欲や態度も評価する『観点別評価制』が導入され、生徒たちは学校側がよしとする態度を取らないと内申点がもらえなくなりました」
中学生は、内申点が進学先を左右する。校則違反が将来に影響するというわけだ。令和の現在も昭和時代の校則が横行している。時代とかみ合わず、とんちんかんだ、理不尽だと感じてしまう校則もあるが、親の立場になったからこそ、理解できるものもあるかもしれない。