7月8日、午前11時半ごろ、奈良県の大和西大寺駅付近で安倍晋三・元首相が銃で撃たれ、亡くなった。第1次政権を含め、3188日という通算在任日数は憲政史上最長。政治家としての安倍氏の実績はよく知られているが、ひとりの人間としての実像はあまり知られていない。40年超の政治記者人生を安倍家取材に費やし、『安倍晋三 沈黙の仮面』著者でもある政治ジャーナリスト・野上忠興氏の取材資料を元に、安倍氏の人生を振り返る──。
1960年。東京・渋谷の南平台にあった岸信介氏の邸宅には、連日、日米安保条約改定に反対するデモ隊が押し寄せた。いわゆる60年安保闘争だ。
その岸邸の中では、まだ5歳と幼かった安倍晋三氏と兄・寛信氏(当時7歳)がデモ隊の口まねをして、「アンポハンターイ! アンポハンターイ!」と繰り返すのを岸氏がニコニコしながら見ていた──安倍氏が政治の「原体験」としてよく語るエピソードである。
だが、その背景に、甘えたい盛りの時期に両親が不在がちだったという家庭の事情があったこと、幼心に感じていた孤独が隠されていたことはほとんど語られていない。
安倍氏は毎日新聞政治部記者だった父・晋太郎氏と岸の長女・洋子さんの次男として1954年9月に生まれた。2つ上の兄・寛信氏(三菱商事パッケージング元社長)が父方の祖父・安倍寛氏と母方の祖父・岸信介氏から1字ずつ受け継いだのに対し、安倍氏は父の「晋」の字をもらったものの、次男なのに「晋三」と名付けられた。母の洋子さんに、なぜ「晋三」なのかと聞いたことがある。
「主人も私も女の子を欲しかったが、2人目も男の子だった。父(岸氏)は喜んでいましたが。名前の由来はよく聞かれますが、晋二より晋三の方が字画が良いとか。主人も字の据わりが良いからとはじめから『晋三だ』といいました」
安倍氏の誕生は、まさに岸氏が権力への階段を駆け上がっていった時期に重なる。