NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、劇中では源頼朝(大泉洋)が死亡し、物語はいよいよ後半戦へ。ストーリーの鍵をにぎる女性たちの暗躍を、歴史学者が解説する。【全3回の3回。第1回から読む】
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第三の妻の「夫暗殺説」
北条義時(小栗旬)の元に嫁いだ比企家の比奈(堀田真由)は、その伯父・比企能員(佐藤二朗)と妻の道(堀内敬子)が北条家と対立した『比企の乱』ののち、離婚を余儀なくされた。その後、「第三の妻」となるのが、有力御家人である伊賀朝光の娘・のえ(菊地凛子)だ。鎌倉時代に詳しい歴史学者の細川重男氏が解説する。
「ふたりの最初の息子・政村が生まれるのが1205年。比企の乱がその2年前なので、比奈との離婚後わりとすぐに結婚したことになります。
のえは義時の没後、息子の政村を執権に就けようとして、義時の長男・泰時(坂口健太郎)を退けるよう画策します。しかし政子(小池栄子)と対立し敗れ、流刑となる(伊賀氏の変)。その年の12月に病没したようです」(「」内以下同)
歴史資料『明月記』には、義時は「のえに暗殺された」という説が記されているという。
「伊賀氏の変から数年後、ある僧侶が京都で捕まった時、『早く俺の首を切れ! 切らないんだったら、伊賀の方が義時を殺した毒で俺を殺せ!』と叫んだ。それを聞いた泰時と初(福地桃子)の子・北条時氏たちは驚いたと書かれています。のえは自分の息子を執権にするために、義時が邪魔だと考えたのかもしれない。
ただ、義時は当時としては高齢の62歳で死んでいるので、わざわざ毒殺する必要はなかったとも考えられる。『義時暗殺説』が噂話である可能性は高いですが、三谷さんはどう描くか」