7月8日午前11時31分、応援演説のため奈良市・近鉄大和西大寺駅前を訪れていた安倍元首相が凶弾によって命を奪われた。安倍氏の“指南役”として知られ、長年、安倍氏と深い親交を持った高野山真言宗宿老・別格本山清浄心院住職の池口恵観氏(85)が、現在の心境を緊急寄稿した。
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このような無念がありましょうか。日本で最長の通算8年8か月という在任記録を持つ、安倍晋三元総理大臣が、白昼に銃弾で斃れました。参議院選挙の応援演説のさなかのことでした。2発の銃声が聞こえたということですから、瞬間と言ってもいいほどの出来事でありました。晋三氏は、まだ67 歳、もう一度宰相として返り咲く体力も気力も、そしてご本人の意志もじゅうぶんあったと思います。
私と、晋三氏とのおつきあいは、永くなります。お父様の跡を継いで、国会議員になったばかりの時でした。私は、ご縁があって、国立山口大学医学部の非常勤講師として、年に一度、講義をさせていただくようになっていました。その時に、晋三氏と出会ったのです。平成が始まったころでした。紹介してくださったのは、山口県で病院の理事長を務める重富克美氏です。晋三氏の父、安倍晋太郎氏の親しい友人であり、親代わりとなって晋三氏を見守る方でした。
その方が「安倍さんは総理になれるでしょうか」と私に尋ねました。私は、咄嗟に「大丈夫でしょう」と答えました。そのとき、私は晋三氏については岸信介、佐藤栄作という戦後日本を代表する政治家を祖父、大叔父に持っておられること、お父さまは総理を目前にしながら、病に斃れられた晋太郎氏であることぐらいしか知らなかったのです。
しかし、初めてお会いした晋三氏に、病の気配があることを感じ取って、私は「お腹に不調を抱えておられますか」と、申し上げました。
晋三氏は、びっくりして、潰瘍性大腸炎というご自身の病気について話してくださいました。それから、晋三氏とは毎月お目にかかるようになりました。私が東京に出てくるたびに、滞在先のホテルニューオータニを尋ねてこられ、私も政治の話をしながら、また私どもで「お加持」と呼ぶ、祈りのケアをさせていただきました。ご自宅にも伺いました。