“引退宣言”をしたシンガー・ソングライターの吉田拓郎(76)。1970年代に青春を過ごしたかつての若者たちのなかでも、吉田に出会って人生が変わったという人は少なくない。
俳優・歌手の中村雅俊(71)は、拓郎から楽曲提供を受け本人とも交流があるが、元々、大の拓郎ファンだった。
「部屋にはテレビも冷蔵庫もトイレもない、あるのはギターだけというような大学生活を送っていた時に出会ったのが拓郎さんでした。ラジオの深夜放送で拓郎さんの曲が流れてきて、『これは何だ?』と衝撃を受けて、すっかりファンになりました。あの頃は70年安保があって、世の中混沌としていて、何か時代が変わるという空気があった。そんな時に歌でみんなを引っ張ってくれる、兄貴のような存在が拓郎さんでした」
初めて本人に会ったのは1975年。松田優作とともに主演したドラマ『俺たちの勲章』(1975年・日本テレビ系)の劇中歌のレコーディングだった。
「レコーディングの日は、俺がめちゃめちゃ調子が悪くてね。ちょっと歌って『あっ、今日はダメだ』と思って、『すみません!』と拓郎さんに謝って帰ってもらいました。でも、それ以降も曲を書いてもらったり、飲みに行ったりと、お付き合いさせてもらっています。テレビ番組で2人旅の企画の仕事をしたこともありました。素の拓郎さんと接すると、学生時代に歌を通して知った拓郎さんとはまた違う魅力を感じましたね。人間性と歌が相まって、新たな魅力を発見することができました」(中村)
そんな中村にとっての“1曲”は、1978年にリリースされたアルバム『ローリング30』に収録されている『外は白い雪の夜』だ。
「作曲が拓郎さん、作詞は松本隆さんで、2人がタッグを組んだことで化学反応が起き、すごく印象深い曲になっている。松本隆さん作詞のヒット曲『木綿のハンカチーフ』と同じように男女が入れ替わる歌詞のスタイルですが、『木綿』が青春篇だとすると『外は~』は大人の男女のリアルな心情が描写されている。新しい『拓郎像』が形になっているように思います。
拓郎さんはいろんなジャンルの曲を書きますが、どんな曲を作っても、そこには生身の拓郎さんがいて、人間性が滲み出てくる。ミュージシャンとしても、人間として間近で見ていても、本当にすごい人だと感じます」