戦後初となる総理大臣経験者の暗殺事件がニッポン社会を大きく揺るがしている。なぜ悲劇が起きたのか、宗教学者の島田裕巳氏が見解を寄せた。
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私は宗教学が専門なので、今回の事件に「宗教」が関係していることには当然、関心が向く。
逮捕された容疑者は「母親が統一教会(現・世界平和統一家庭連合)に入り、多額の寄付をしたことで破産した」「統一教会と安倍元首相がつながっていると考えて犯行に至った」と供述しているという。この点をどう捉えるかは、非常に難しい問題だろう。
安倍晋三氏は最近も旧統一教会の関連団体のイベントにビデオメッセージを送るなどしていたし、東西冷戦時代から左派の学生運動などに対抗する勢力として統一教会の政治団体である国際勝共連合があり、日本の一部の保守系議員と関係を深めてきた経緯もある。
ただ、容疑者の家庭が経済的に破綻したのは約20年前のことだという。そこで恨みを持ったとしても、なぜ今になって安倍氏を狙ったのか。そこがはっきりしないままとなっている。銃を自作までしたのだから、かなり計画性はあると考えられるが、いくらなんでも20年以上狙い続けていたはずはない。
このタイミングで行動を起こした理由があるのかもしれないが、現状では明らかになっていない。だからこそ、慎重に考えることが必要だろう。
こうした事件が起きると、「なぜ、今、こんなことが起きたのか?」という問いに関心が向き、社会の在り方などに理由を求めようとしがちだが、私はもっと幅広く問題を捉え、考えたほうがいいと思っている。
人間はいつの時代も暴力を振るう一面のある生き物だ。戦争もあれば、学生運動などの政治活動にも暴力がつきまとうし、殺人事件や放火事件もなくならない。タイプは違っても絶えずテロのようなことは起きているし、いつでも起こり得るということだ。社会の在り方に原因を求めて考えることも必要ではある一方、それだけでは説明がつかないこともある。
信じたくないことではあるが、人間は危険な存在だ。事件を受けて、「日本でまさかこんなことが……」と驚く声も聞くが、私はそうは思わなかった。事件が特別な出来事だと考え、細かな理由を追求すると、かえって見えなくなるものもあるだろう。
事件に宗教が全く関係ないとは思わない。ただ、宗教の部分だけを切り取って話すこともできないと考えている。
※週刊ポスト2022年7月29日号