戦後初となる総理大臣経験者の暗殺事件がニッポン社会を大きく揺るがしている。なぜ悲劇が起きたのか、東大名誉教授で歴史学者の山内昌之氏が見解を述べる。
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日本の国益、国民の安全、経済と金融、歴史と文明論などをトータルに世界へ向けて発信し、日本の立ち位置を説明できる政治家は決して多くない。
そのなかでも安倍晋三・元首相は主張が一貫しており、最長政権を打ち立てた事実と劇的な死は憲政史に刻み込まれる。病気で一度退陣した時も含め、持続的な批判をものともせずに、信念の発信を続けてきた。
大局観のある政治家が、警備当局の油断もあって、防げたはずの凶弾に倒れたことは無念というほかない。心からお悔やみ申し上げたい。
現代の日本では鉄砲の所持は厳しく規制されている。歴史的に見ても、豊臣秀吉や徳川家康の時代から日本では「ガン・コントロール」が機能してきた。アメリカとは違って、日本の多くの市民は政治家がテロや殺人犯罪の標的になることを想像できなかったのではないか。
戦前、首相級の政治家が暗殺されたテロ犯罪が起きていたということも、大多数の国民の記憶と知識から消えてしまった。他方、今回のことで、政治家・国会議員の皆さんは、思い込みからテロ殺傷の標的になる恐ろしさを改めて痛感したことだろう。
国会議員は、選挙や遊説で公の場に自分をさらけ出す機会の多い職業である。主義主張が異なっても、理性や合理主義で反発・批判できる環境を日常的に担保するのが民主主義である。
しかし、民主主義の自由と権利の享受は、銃弾・爆発物を作る“自由”を人知れずに利用する犯罪の秘密性や密閉性とも背中合わせになっている。だからこそ警察は、一般市民から政治家に至るまで人々の安全を守るために日夜尽力しているのだ。その間隙に忍び寄ったのが今回の凶悪犯罪である。
今度の参院選で当選した議員の中には、異なる主義主張の暴力的解決や、思い込みによる怨恨を持つ者が社会にまぎれこむ危険性を痛感した人もいるだろう。
国会議員とは本来、語るべき政見も持たず、マスコミの取材にも応じられない人が何かの“知名度”だけでなれる職業ではない。
安倍氏の不慮の死が、改めて有権者と国会議員にも、政治の覚悟と使命感とは何かを考えさせる機会になることを願ってやまない。
※週刊ポスト2022年7月29日号