自覚症状のないままがんが進行するすい臓は「沈黙の臓器」と呼ばれる。見つかった時には手遅れとなっているケースが多く、5年生存率は10%に満たない。
「抗がん剤の進歩により生存率は改善されてきていますが、肝心の早期発見はいまだに難しい。すい臓は胃の裏にあるため、超音波検査などで観察しづらく、一般的な検診ではなかなか見つけられないのが現状です」
名古屋セントラル病院の院長・中尾昭公医師(74)は、1973年に名古屋大学医学部を卒業して以来、1500例を超えるすい臓がん手術を手掛けてきた。
すい臓がんは、臓器周辺の血管に広がることが多い。血管に取り付くがんの切除は極めて難しく、手術不可能と診断されることがほとんどだ。中尾医師のもとには、他院で断わられ、行き場を失った患者が駆け込む。まさに“最後の砦”の外科医といえる。
6月某日。中尾医師は60代の女性患者の執刀にあたった。行なわれた手術は、膵頭十二指腸切除術。従来であれば、十二指腸に沿って切り込みを入れ、すい臓を切り取っていく。しかし、この方法では出血が多い上に、がん細胞を周囲に撒き散らす恐れがある。中尾医師が採ったのは、自身が開発した「メセンテリック・アプローチ」と呼ばれる術式だ。腸間膜から切り込み、重要な血管を一本ずつ組織から剥がしてむき出しにしていく。すい臓へ向かう血管があらわになったところで縛り、血流を遮断する。出血量を抑え、がんが飛散するリスクを大幅に軽減するという手法だ。
この日、切除および再建までかかった時間はおよそ8時間。長時間にわたることの多いすい臓がん手術は、1日1人がやっとだという。
中尾医師の開発した術式はメセンテリック・アプローチだけではない。彼の名を世界に知らしめたのが、1981年に発表した「門脈カテーテルバイパス法」だ。
「すい臓の手術を難しくさせていたのが、胃や腸などの臓器の血液を肝臓へ運ぶ門脈と呼ばれる静脈。ここにがんが浸潤していたら諦めるというのが、それまでの外科医の常識でした」