7月19日、羽生結弦(27才)が都内で会見を開き「プロのアスリートとしてスケートを続けていくことを決意いたしました」と競技の第一線を退く意向を表明した。そんな羽生の周辺では最近、これまでにない“異変”が起きていた。
「5月29日、千葉でのアイスショー『ファンタジー・オン・アイス』の最終日には、お母さんだけでなくお父さん、お姉さんまで家族総出で応援に来ていました。そればかりか、羽生選手が2014年からジャンプの指導を受けてきたジスラン・ブリアンコーチまでカナダから駆けつけていた。
結果的に、先日の『ファンタジー・オン・アイス』がアマチュアスケーターとして滑る最後のステージとなったのですが、その舞台をお世話になった人に見てもらいたいという思いがあったのでしょう」(フィギュアスケート関係者)
羽生の“人生設計”は予定通りといえるほど順調だ。7年前の2015年7月18日。「ファンタジー・オン・アイス2015」の特別企画に、羽生は織田信成(35才)や宇野昌磨(24才)とともに出演した。「男子会in神戸」と銘打たれた、スイーツを食べながらの和気あいあいとした鼎談。そこで、「将来」をテーマにしたフリップに羽生はこう書いた。
《3年後(2018)それまでに積み上げた技術を一生懸命出し切る》
《7年後(2022)プロスケーターとして、支援活動。スケーターへの手伝い》
《15年後(2030)プロ引退(?)スケートだけじゃなく色々なスポーツに貢献》
「彼は何才までに何をやる、と目標をきちんと決めるタイプで、それを実現するために並々ならぬ努力をしてきた人です。振り返ると、7年前に描いていた未来予想図通りに着実に歩んできたといえると思います」(別のフィギュアスケート関係者)
彼のそのストイックさこそが、伝説的な結果を生み出してきた原動力だった。15才だった2010年にジュニアの世界選手権で優勝。だが、2011年3月の東日本大震災では仙台市内のリンクで練習中に被災し、自宅も被害を受けたため家族4人で避難所生活を余儀なくされた。
「スケートを続けていていいのか」と悩んだ末、スケートを通じて復興支援することを決意。全国のアイスショーを回りながら練習を続け、2012年3月の世界選手権では3位に食い込んだ。2014年、ソチ五輪で男子フィギュア日本初の金メダルを獲得し、世界選手権でも優勝。さらに2018年平昌五輪ではフィギュア男子として66年ぶりとなる五輪連覇をなし遂げた。
「平昌五輪のときは右足首が悲鳴を上げている状態。それでも金メダルを獲得できたのは、彼の超人的な精神力によるもの。被災地の復興支援への強い思いがその原動力になっているのでしょう」(前出・フィギュアスケート関係者)