日本を代表する作家・劇作家の井上ひさしさん(享年75)。2010年4月に肺がんで亡くなる前の5か月間について、妻・ユリさんは「夫婦になってから最も長い時間を共に過ごした日々だった」と言う。173日間の闘病と最期の姿を振り返る。
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体の不調を訴えた夫と近所の救急外来に行き、肺に水が溜まっていると分かったのが2009年10月19日の夜。10日後、検査結果が出て、末期の肺がんと判明しました。
告知を受けたショックでうなだれた私とは対照的に、夫は案外落ち着いていました。青年期に孤児院に入るなど大変な苦労をしてきたから、自分の身に降りかかる不幸も甘んじて受け入れるところがありました。
「今年書いた『ムサシ』も『組曲虐殺』もいい出来だった。この2つが最後なら満足だよ」と私を慰めてくれたのです。
数日後、紹介された病院で、主治医から的確な治療方針を聞いた後、夫も先生を信頼したのか、「頑張ってみようか」と言い、私も前向きな気持ちになりました。
抗がん剤治療が始まると、激しい吐き気に襲われていました。「吐くと体力を使うし自信を失うから」と、懸命に我慢している姿を見るのがとてもつらかったです。味覚も変わってしまい、食べたかったものでも実物を見て匂いを嗅ぐとダメになることがあり、本当にかわいそうでした。
4週間単位で4回目まで抗がん剤治療を行ないましたが、年明けから状況が徐々に悪くなっていきました。
「延命治療はイヤだ」
2月以降は痛みで十分な睡眠が取れないうえに食べ物の飲み込みも悪くなった。3月の外来受診時に入院を勧められたのですが、夫は嫌がり、一旦帰宅しました。でも症状は悪化するばかりで、「やはり入院しよう」となりました。
自宅を出る時、「もう帰って来られないかもしれないな」と呟く夫に、私は何も言えませんでした。
最後の入院時、夫は「こんな話は聞きたくないだろうけど」と言いながら、死についての話もしました。「家で死にたい」「延命治療はイヤだ」と言い、話題がお別れ会のことに及ぶと、「これ、俺がプロデューサーやらないと」と2人で笑いました。