7月26日、日本相撲協会は立行司である37代木村庄之助を務めた畠山三郎さんが22日に慢性間質性肺炎のため自宅で亡くなったと発表した。72歳だった。本誌・週刊ポストは亡くなる3日前に畠山さんの自宅で取材し話を聞いていたが、その直後の訃報となった。畠山さんはその日の取材で、名古屋場所中日の結びの一番である照ノ富士-若元春戦で、立行司の式守伊之助が「まわし待った」をかけた取組について、見解を語っていた。
取材当日に妻・静子さんが案内してくれたリビングで、畠山さんは横になった状態でNHKの相撲中継を見ていた。「足が痛くて座れないんだ。悪いね」と言いながらも、笑顔で記者を迎えてくれた。
2か月前の夏場所中にも、畠山さんが2015年に退職して以降、行司の最高位にあたる「木村庄之助」が7年間不在となっていることについて話を聞くために自宅にお邪魔した。その時も畠山さんは同じように横になった状態で話をしていたが、今回のほうが声を出しにくくなっているように見えた。
取材の主題であった名古屋場所中日の結びの一番では、若元春のまわしが緩んでいたことから、行司である式守伊之助が「まわし待った」をかけたが、その声かけに気づかなかった若元春が力を抜いた照ノ富士を寄り切ってしまうという事態が起きた。
佐渡ヶ嶽審判長らが土俵上に集まり、2分半の長い協議の末に元の体勢から再開することが決まった。再開後、わずか9秒で若元春が下手投げで敗れた。この一番について畠山さんはこう語っていた。
「審判規定には“行司は動きを止めて、(まわしを)締め直させることができる”とある。だから『まわし待った』をかける判断自体は間違っていなかった。土俵下の審判からも“まわし”の声が掛かったのではないか。ただ、まわしが緩んでも力士が動いている時は止めない。そのタイミングが少し遅れたんだろうが、止める時は思い切って止めないといけない。
問題はどこから再開するかということだったと思う。動いていたのだから(まわし待ったがかかった瞬間は)誰にもわからない。照ノ富士が左で取っていたのは1枚まわしだったが、再開後はしっかりとつかんだ左下手で(若元春を)転がした。まわしを締め直すのだからそうなる。
本来、まわし待ったをする時は、両者分かれての『水入り』と違って土俵上で組み合った状態で締め直す。そのため元の体勢のまま再開できるが、今回は動いてしまっていた。審判部長が土俵上でビデオ室と連絡を取って再現しようとしていたが、動きがあったらからどの形から再開するのが正しいかわからない。他の審判が指摘することもできない。蹲踞(そんきょ)からやり直してもよかったのではないか。審判部の判断だから何とも言えないが、その選択もあったと思う」