【著者インタビュー】小川哲氏/『地図と拳』/集英社/2420円/
直木賞候補作にもなった『嘘と正典』以来、約3年ぶりとなる、小川哲氏の待望の最新長編『地図と拳』。中国東北部は奉天の東に、川に蜜が流れ、〈燃える土〉に富む桃源郷があると聞き、様々な思惑を抱えてやってきた人々と、その〈李家鎮〉と呼ばれる架空の町の50年史を、SF界注目の新星は、現実の満洲史の行間を縫うように現出させてしまう。
「位置的には、撫順あたりですね。炭鉱も有名ですし」
各章には〈一八九九年、夏〉から〈一九五五年、春〉まで西暦と季節が記され、日露戦争前夜から満洲国の消滅及び日本の敗戦までが、茶商人に扮した軍部の密偵〈高木〉や、後に李家鎮の都市計画に係わることになる〈須野明男〉ら、複数の視点で語られてゆく。
ただでさえ短命に帰した満洲国の歴史に、さらなる人工都市の虚像を上書きするこの大胆不敵な試みは、マルケス『百年の孤独』をイメージしてのものだとか。つまり主人公は高木でも明男でもなく、地図もない土地に忽然と出現した都市、李家鎮そのものなのだと。
「元々は地図というより、都市や建築の話を書くつもりだったんです。編集者と話していて、かつて多くの都市計画を率いていた高山英華という建築家が題材としておもしろいんじゃないかと。東大蹴球部出身で、戦後は駒沢公園などを手がけた彼は、満洲で着手し、結果的には頓挫した、大同都邑計画というものを実際に立案しているんです。
そもそも満洲の町は、20世紀初頭から第二次大戦の間に急速に発展した町ばかりですし、この幻の都市計画を参考に架空の都市をフィクションとして作れば、その象徴にもなるだろうと。
タイトルは連載が始まる際に何案か考えて『地図と拳』にしたんですけど、地図に関しては正直、その時点では何の知識もありませんでした(笑)」
実は〈教えるんだ〉〈地平線の先にも世界が存在していることを〉などといった地図の本質に触れる文言も、本書のために学び、蓄えた知識の賜物。巻末に夥しい数の参考文献を載せる著者は、建築や満洲に関しても「全くの素人」を自称する。
「これは『ゲームの王国』で内戦時代のカンボジアを書いた時に感じたんですが、何も知らないことを調べて書く方が、知らない人の視点で書けますし、濃度の高いエンタメになる。もちろん、メチャクチャ大変なんですけどね。
でも大変なのは僕だけで済みますし、勉強する中でこれはと思うことをうまくフィクション化できれば、仮に小説はつまんなくても、読者の知識や考える材料にはなる。最悪、時間のムダにはならないなって(笑)」