フィギュアスケート界の唯一無二の存在が、競技人生にひとつの区切りをつけた。ファンが固唾をのんで見守る中、7月19日の会見で、羽生結弦(27才)は一つひとつ言葉を噛みしめこう語った。
「これまでたくさんの応援のおかげでぼくはここまで来られました。羽生結弦としてフィギュアスケートをまっとうできるのが、本当に幸せです」
羽生とスケートの出会いは4才のとき。当初の目的はぜんそくの克服だったが、負けず嫌いな性格から、羽生少年はフィギュアスケートにのめりこんでいく。9才で全日本ノービス(9〜10才のBクラス)で優勝したのを皮切りに、かつてコーチが「宝石のような子」と称した少年は、五輪2連覇の偉業を含む輝かしい成績を残し、23年の競技人生を駆け抜けた。
彼が残したのは「結果」だけではない。リンク上での美しい舞のような表現力、競技会を離れたところでの心を揺さぶる言葉、思わず「かわいい」と叫びたくなるようなしぐさ……。数多い「史上最高のユヅの瞬間」を、生粋のファンたちが熱く語った。
アイムファースト?オーマイゴッド!
羽生の経歴で燦然と輝くのが、3度出場した五輪だ。日本人男子として初の金メダルを獲得した2014年のソチ五輪。男子では66年ぶりとなる連覇を成し遂げた2018年の平昌五輪。2022年の北京五輪では、4回転半ジャンプに果敢に挑んだものの、4位に終わった。
「初めて五輪の金メダルをとったソチで、自分が1位だとわかった瞬間、『アイムファースト? オーマイゴーッド!』って叫んだんです。いつもきちっとしているイメージのある羽生くんが、目を見開いて、口をポカンと開けていた。そこから徐々にうれしそうに笑ったのが忘れられないです」(50代女性)
競技後のエキシビションでも、羽生は思いのこもったパフォーマンスで世界中のファンを釘付けにした。ソチ五輪のエキシビションで使用したのは、バイオリニスト・川井郁子さんが作曲した『ホワイト・レジェンド』。川井さんはこのときの羽生の姿に息をのんだと話す。
「事前に使ってくださることを知っていたので、ドキドキしながらテレビを見ていました。両手を羽のように広げた姿はまるで白鳥のような、白鷺のような……本当に美しくてドラマチックな表現に引きこまれました」(川井さん)
『ホワイト・レジェンド』は『白鳥の湖』をベースに、“和”の世界観を取り入れた楽曲だ。
「この曲は、日本に生きた女性が熱い思いを抱きながら、悲しみや苦難の運命を懸命に生きる姿をイメージして作りました。羽生さんがこの曲に“悲しみから立ち上がる人の心を感じる”とコメントされたと聞いて、曲の心を掴んでくださっていたことに感動しました」(川井さん)
平昌五輪では足首のけがに悩まされ、思うような練習ができないまま連覇に挑んだ。
「痛みをこらえながらも、最後の3回転ルッツを根性で降りた。絶対に着氷してみせるんだという強い意志が表れていました。目の奥が鋭く光っていて、ただならぬ雰囲気でした。祈るように見守っていたので、“みんなに支えられた”という彼の言葉に涙があふれました」(40代女性)