地方大会を勝ち抜いた49校が、いよいよ8月6日に開幕する夏の甲子園に挑む。春のセンバツで“まさかの落選”が大騒動となった聖隷クリストファーは静岡大会ベスト4まで勝ち進んだものの敗退。聖地への切符を獲得することはできなかった。「失意の春」から「夏の奇跡」を目指した同校は、どんな思いで大会に臨み、勝ち上がったのか。本誌・週刊ポストでセンバツ直前に選考委員や高野連会長の証言をスクープしたノンフィクションライターで『甲子園と令和の怪物』著者の柳川悠二氏が独占密着した。【全3回の第1回】
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今年1月の第94回選抜高校野球大会の出場校を決する選考委員会において、昨秋の東海大会で準優勝しながら、落選の憂き目にあったのが静岡の私立・聖隷クリストファー高校だった。コロナ禍によって甲子園が中止となり、県の独自大会となった2年前の夏こそ静岡を制した経験があるものの、これまで甲子園出場は春夏通じて一度もない。
今夏は静岡大会のベスト4まで勝ち進んだ。7月27日の準決勝・静清戦は雨によるサスペンデッドとなり、翌日の継続試合の末、0対3と惜敗した。まさかの悲劇を味わった聖隷クリストファーに、悲願の甲子園初出場という奇跡は起きなかった。
ゲームセットからしばらく時間が経過したあと、主将の弓達寛之は上村敏正監督(65)に対する思いを打ち明けた。
「上村先生は常々、『人生は思い通りにはならない』という言葉を僕らに投げかけていただいていました。春に(甲子園に)行けなかった分、先生の野球を証明してやるんだという気持ちでやってきたつもりですが、先生の野球がまだまだ分かっていなかったから、こういう結果になったんだと思います」
弓達は昨秋に負った右ヒジのケガの影響で、この夏はマウンドに上がることが難しい状況にあった。大会期間中は、体調不良によって一時的に選手登録を外れたこともあった。敗北の直後、弓達だけは涙を流していなかった。その理由がこの時、わかった。
「悔しすぎて、涙も出ませんでした。必ずこの悔しさを次の人生に活かしていきます」
「燃えたぎるものがない」と語っていた上村監督
今年1月、聖隷の落選が決まった日の2日後、私は浜松駅から車で30分ほどの聖隷グラウンドに足を運び、上村監督への独占インタビューを敢行した。落選の一報を聞いて、「頭が真っ白になりました」と語った上村監督は、怒気混じりにこう続けた。
「しばらく時間が経ち、新聞やテレビの報道などで落選の理由を知った今となっては、憤りの感情もあります」