夏の甲子園の代表校の座に、聖隷クリストファー(静岡)は届かなかった。春のセンバツ選考では“まさかの落選”が大きな騒動となり、不可解な選考について十分な説明を拒んだ大人たちを見返すような勝ち上がりを見せていたが、準決勝で惜しくも敗退した。本誌・週刊ポストでセンバツ直前に選考委員や高野連会長の証言をスクープしたノンフィクションライターで『甲子園と令和の怪物』著者の柳川悠二氏が独占密着した。【全3回の第3回。第1回から読む】
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静岡市にある草薙球場から7月28日の昼過ぎに浜松市の聖隷グラウンドに戻ったナインは、長時間にわたってミーティングを行っていた。それが終わった15時過ぎ、私にとっても長い取材のケジメとなる、上村敏正監督へのインタビューが実現した。
大会の開幕直前、上村監督は「選手からギラギラしたものが感じられない」と話し、それはつまり監督自身にギラつくものがないからだと説明していた。しかし、準々決勝までの5試合の戦いにおいて、選手は上村監督を甲子園に連れ行こうと目をギラつかせながら戦っていた。
「この子らは『能力がない』と一言で片付けられるような試合はしなかった。僕は浜松商業でも掛川西でも、甲子園に行かせてもらっていますからいいんです。でも彼らにとって、甲子園のチャンスは今年しかなかった。それをあんな理由で奪っておいて、僕が高校生なら許せないですし、その許せない気持ちが空回りして、夏の大会も良い結果が残せなかったんじゃないかなと思っていました。なのに彼らは準決勝まで頑張った。立派でしたね」
阿吽の呼吸がなかった…
主将の弓達寛之が満足にプレーできたい状況下で、背番号「10」の今久留主倭をはじめ控え選手たちがカバーし合い、日替わりでヒーローが誕生した。大会中には体調不良でベンチを外れる選手も少なからず出ていた。選手を讃える一方で、拭いきれない悔恨が上村監督の中にもある。
「能力の高い選手を集めて勝ったチームが評価されるのが高校野球なら、『それはおかしいでしょ』と大声で言いたかった。でもね、最後まで勝って甲子園に行くチームというのは、僕が考えていること、あいつらが考えていることが阿吽の呼吸でわかるものなんです。それがこの夏はわからなかった。去年の秋よりもわからなかった」
準決勝での一場面を上村監督は例に挙げた。
「(継続試合となって迎えた3回表1死二塁のという)ピンチの場面で、キャッチャーの河合(陸)はゴロを打たせるためにアウトコースにスライダーを要求すると思っていました。河合も胸に手を当てていたので、こちらの意図を理解していると私は思いました。ところが、今久留主の投げたボールはインコースのストレートでそれを弾き返された。ベンチに戻ってきた時に確認すると、『胸元にボール球を投げさせるつもりです』という意味のジェスチャーだったそうです。そういうちぐはぐさが随所に出てしまったのが準決勝でした」
どうして指示が伝わらないのか。どうして指示が理解できないのか。そういうイライラを募らせていった。
「選手がミスをした時に、『仕方ない』と割り切れない自分がいました。ヒットの数は少ないけれども、ワンチャンスをものにするのがうちの野球です。ところが今日は、5回の1死満塁で山崎がゲッツーに倒れた。7回にせっかく相手投手にボールを放らせようと粘ったのに、8回はわずか4球で攻撃を終えてしまった。そして、9回も先頭打者を出しながら、ゲッツーでしたよね……。そりゃあ、負けたんですから、悔しいです。でも……」