5月に公開された映画『トップガン マーヴェリック』が大ヒットを記録している。この作品を巡って話題を集めたのが、字幕翻訳を担当し、長年、主演のトム・クルーズの通訳として活躍してきた戸田奈津子さん(86才)が“通訳引退”を表明したこと。字幕翻訳者となって半世紀が経った戸田さんは、どのような経緯で今日に至ったのか?【全5回の第1回】
《トム・クルーズ最大のヒット主演作》《全米の興行収入は『タイタニック』超え》──映画『トップガン マーヴェリック』は今年5月に公開されるやいなや、36年前に公開された前作を愛するオールド・ファンを中心に熱い支持を集め、歴史的な大ヒットを記録している。日本でも616万人を動員し、興行収入は100億円を突破した。コロナ禍で映画館が苦境を強いられる中での久しぶりの明るい話題となった。
異例の大ヒットに加えて、もう1つ世間の注目を集めたことがある。それは、同作品の字幕翻訳を担当し、長年、主演のトム・クルーズの通訳として活躍してきた戸田奈津子さん(86才)が“通訳引退”を表明したことだった。
「年を重ねると頭の中では映像として浮かんでいる単語や人の名前がパッと出てこなくなったり、立て続けにしゃべる人の場合、メモを取るのが追いつかなくなってしまう。字幕を翻訳するときとは違って、通訳は即座の反応で行う仕事ですから、だんだんと現場でうまくやる自信がなくなってきました。記者会見の場などで失敗したら通訳失格ですし、何より、一生懸命しゃべっているゲストスターに申し訳ない。だから、このへんでやめた方がいいと思ったんです。
そう決意したのでトム・クルーズに『私、もうこれだけの年齢になったから、今後は……』と打ち明けたら、彼は相当驚いたみたい。でも結局は『そうか、わかった』と理解してくれました」
温和な笑みを浮かべながら少し早口で振り返る戸田さんは、約50年にわたって字幕翻訳に携わってきた。秘書やマネジャーも置かずに、翻訳の仕事はもちろん、スケジュール調整や事務仕事などもすべて自ら行う。プライベートでも“おひとりさま”を通し、多忙な日々を生き抜いてきた。
戸田さんが字幕翻訳者としてキャリアを築き始めた1970年からの半世紀は、女性の生き方が多様化し、とりまく状況が大きく変わった激動の時代と合致する。彼女はそこでいかにして自らの運命を切り開き、今日に至ったのか。
祖母のために海外の写真雑誌のキャプションを訳したことが原点
戸田さんは1936年、銀行員だった父親の転勤先、福岡県戸畑市(現・北九州市戸畑区)で生まれた。折しも青年将校によるクーデター「二・二六事件」に国中が揺れていた。その後すぐ日中戦争が勃発して、召集された父親は戦死。母は戸田さんを連れ、実家がある東京に戻った。
やがて東京が空襲に見舞われるようになると、戸田さんは防空頭巾を被って小学校に通学し、戦況が悪化すると、亡き父の実家を頼って愛媛県に疎開した。家族を失い、慣れない土地での生活を余儀なくされ、苦難に満ちていたはずの日々を戸田さんは意外にも「結構、楽しかった」と振り返る。