いよいよ開幕を迎えた夏の甲子園。大会2日目となる8月7日の第4試合に登場するのが徳島県代表の鳴門高校だ。徳島大会での同校は、背番号「1」の投手がひとりでマウンドを守り抜き、トーナメントを勝ち上がった。実は、エースひとりだけが投げて甲子園行きの切符を手にしたのは、全49代表校のうち徳島・鳴門のみなのだ。少し前なら“エースと心中”が当たり前だった高校野球に、大きな変化が訪れている。新刊『甲子園と令和の怪物』が話題のノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。
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新型コロナの感染拡大によって、直前になって主将だけの入場行進に変更となった第104回全国高等学校野球選手権大会の開会式を眺めながら、ある学校の指揮官の不在を私は憂慮していた。それは、徳島・鳴門の森脇稔監督(61)だ。
今春の選抜において、王者・大阪桐蔭を最も苦しめたMAX144キロのエース左腕・冨田遼弥を擁する鳴門が、滋賀の近江と対戦する大会2日目(8月7日)の第4試合は1回戦屈指の好カードだろう。ところが、組み合わせ抽選会が終わった直後、森脇監督の体調不良により福本学コーチが指揮を執ることが大会本部より発表された。
森脇監督といえば、3年前(2019年)の第101回大会でのなんともうんざりした表情が記憶に残っている。あの夏、鳴門は徳島大会の初戦から決勝までの5試合をエース左腕・西野知輝(現・山梨学院大)がひとりで投げ抜いていた。地方大会でひとりの投手しか出場しなかった学校は、全49代表校のなかで鳴門だけだった。
その年の甲子園は、岩手・大船渡の國保陽平監督が、岩手大会の決勝において、登板が続いて故障のリスクが高いという理由で、「令和の怪物」こと佐々木朗希(現・千葉ロッテ)を登板させなかった“大騒動”の直後だった。それもあって、國保監督とは対照的に、数字上はひとりの投手に依存しているかのように映る森脇監督の投手起用はやけに目立っていた。
そして、西野は甲子園の1回戦でも完投し、2回戦の仙台育英戦の8回に降板するまで、この夏、963球を投じた。敗退後の森脇監督は、新聞記者から「なぜひとりで投げさせたのか」という質問を浴びていた。あまりにも同じ質問が繰り返されたため、森脇監督も最後は怒気を込めてこう語っていた。
「もう何回も説明しています。もう何回も……。試合展開が、継投を許す状況になかった。徳島大会はくじ運が悪く、厳しいゾーンに入ってしまい、西野に頼らざるを得ない状況でした。継投が現在の主流なのは間違いないでしょう。しかしながらエースがいて、2番手の子が大きく力が落ちれば、2番手投手を起用するのはためらわれます。起用を決めるのは、私であり、選手のプレーを見てきた関係者なんです……。選手の巡り合わせによって、投手起用もそれぞれでしょう」
その後、高校野球は「1週間に500球以内」という球数制限の導入もあり、大きな変革期を迎える。その現場を追いかけた拙著『甲子園と令和の怪物』(小学館新書)を参照いただきたいが、「エースと心中」するような学校は甲子園から消え、複数の投手の継投によって勝ち上がるケースが圧倒的に多くなり、エースを酷使するような監督には厳しい目が向けられるようになった。