【著者インタビュー】青山文平氏/『やっと訪れた春に』/祥伝社/1760円
29歳の若さで近習目付に抜擢され、今年67になった橋倉藩士〈長沢圭史〉が、わざとよろけてお堀に落ちた顛末に関して、同い年の同役〈団藤匠〉と語り始めるのが、青山文平氏(73)の新作時代小説『やっと訪れた春に』の冒頭である。
〈不意に、もよおしてな、いきなり差し迫るのだ〉と長年の友に殿のお供で失禁した事実を打ち明け、互いに妻に先立たれた孤独を慰め合う老境譚かと思いきや、まるで違った。表題の意味するところも、これを機に致仕願いを出した圭史や、〈俺はこのやっと訪れた春を楽しむつもりだ〉〈後添えだってもらうかもしれん〉と笑う匠の、第2の人生の話では全くなかったのだ。
そもそも本来1人の近習目付が2人いるのも、橋倉藩では4代藩主〈岩杉重明〉以降、岩杉本家と田島岩杉家が交互に藩主を輩出し、両派の均衡を2人の能吏を置くことで保ってきたから。だが状況が変わり、〈いまならば、近習目付は一人でもなんとかなる〉と圭史が隠居した矢先、事件は起きる。
「私が書くのは時代小説で、実在の人物を主人公にする歴史小説ではないのですが、使ってる素材はあらかたリアルです。藩主の交代制も実際にあったことで、頭で作ったことではありません。そういうとっておきの素材を集めて寝かせておくと、何かしらの核に出会ったとき、勝手に集まってきて小説を作ってくれる。つまり私は、プロットを作って書く書き手ではありません。しばしば先の展開が読めないと言われますが、そういうことで、予定調和になりようがないのです」
例えば本作の時間軸は、圭史が庭先の龍を思わせる大木〈御師〉の実りを毎年漬ける、〈梅仕事〉の進行と終始並走。その作業の詳細を青山氏は周囲の梅名人に取材した上で、妻や2人の息子にも先立たれた圭史が、家族を思って妻直伝の梅を漬ける時間の尊さを、暮らしの一場面として描出する。
また、4代藩主・重明が藩政を裏で操る〈門閥〉を僅か半日で排除した事件を、人々は〈御成敗〉と呼び、花見に興じる門閥を襲った実働隊を〈鉢花衆〉と畏れた。後に領内の発展に尽力した重明は神社に祀られ、圭史と匠が抜擢されたのも、鉢花衆の家柄だったからだ。
が、重明から下賜された〈鮫鞘の脇差〉を継ぐ子孫には相応の覚悟が求められ、圭史も15歳になると〈屍体〉を斬る稽古を始めた。父は〈人を斬ることに馴染んでいないと、いざ、実戦になったときに躰が「居着く」〉と言って何度も縫い直した貴重な骸を斬らせ、圭史は圭史で〈こんなことに慣れた人間になってたまるか〉と、吐くことで抵抗した。
その父が急逝し、圭史は件の脇差も封印したが匠はどうか。共に嫡男もなく、このままでは絶家になると知りつつ放置する理由を、圭史自身〈なんとはなしに〉としか言葉にできない。
そんな折、田島岩杉家の次期藩主候補が急逝。祖父〈重政〉は今後一切の藩主就任を遠慮し、藩主交代の歴史は幕を閉じたが、その重政が暗殺され、圭史もまた自ら真相を追い始める。