「心」と「辛」の意味
澤田氏は松山商業の監督として最長となる18年の在任期間で、春2回、夏4回の甲子園出場を果たした。コーチ時代の1986年には夏準優勝のチームを文字通りの叩き上げで鍛え、奇跡のバックホーム後の2001年夏にはベスト4にも進出。だが、この年を最後に松山商業は甲子園出場を果たせていない。
澤田氏は2006年に監督を退任し、2010年には北条の監督に。12年間にわたって指揮し、65歳で退職後に母校へ戻った。
「力のない子をいかに指導したら、野球の技術を身につけやすいか。勉強になった北条高校での12年間でした。これまでもOBから、復帰を望む声はあったんやけど、現在の監督さんの意向を無視して戻るわけにはいかん。そんな時、大野監督から声をかけていただいた。こんな幸せはありません」
大野監督とは、2020年春に就任した大野康哉監督だ。松山商業が低迷期に入った2000年代に、県内有数の進学校である今治西を率いた。在任15年間で春夏あわせて11度もの甲子園出場を果たした愛媛の闘将といえる存在だ。
名門の再建には、松山商業を誰より知るレジェンドの支えが必要と考えての要請だろう。澤田氏は復帰にあたり、自らに「使命」を課した。
「まずは甲子園に出場すること。そしてもう一つ、全国でも松山商業しか権利のない四元号での優勝に挑戦すること。これは使命ではないかもしれんね。男の浪漫じゃろ」
松山商業の部室には、どこか違和感のある「心」の一文字が書かれた額と、木の板に「辛」一文字が書かれた看板がかけられている。だが、「辛」の字もまた縦棒がやけに長い。
点がひとつ足りない「心」の字には「点が一つで心は一つに。点が二つあると心に迷いが出る」という意味が、「辛(しん)」の字には棒が長いことで「辛抱(しんぼう)」という意味が込められている。前者は澤田氏がコーチ時代に、後者は監督時代に設置したものだ。澤田勝彦という野球人の生き様を表す二文字だろう。
【著者プロフィール】柳川悠二(やながわ・ゆうじ)/1976年、宮崎県生まれ。2016年に『永遠のPL学園』で第23回小学館ノンフィクション大賞を受賞。新著『甲子園と令和の怪物』(小学館新書)では、ロッテ・佐々木朗希の大船渡高校時代の岩手大会決勝「登板回避」について、当時の國保陽平監督の独占証言をもとに詳細にレポートしている。
【写真】撮影・藤岡雅樹