緊迫した投手戦、息をつかせぬ乱打戦──炎天下の甲子園球場(兵庫・西宮市)で、高校球児たちがはつらつとグラウンドを駆ける。だがその裏で、選手たちは相手チームとは別の“見えない敵”との戦いも強いられていた。ノンフィクションライターの柳川悠二氏が、コロナ禍の影響を受けた球児たちの夏をレポートする。【全3回の第2回。第1回から読む】
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この夏、コロナは地方大会でも球児を苦しめ、甲子園の夢を打ち砕いた。宮城大会では東北高校に、静岡大会では常葉大菊川にクラスターが発生し、メンバーを大量に入れ替えて戦うも大敗を余儀なくされた。いずれも優勝候補の一角と目されていた。
奈良大会では、決勝進出を決めていた生駒が、大一番を前にメンバーが大量離脱。登録メンバー20人のうち12人を入れ替えて決勝に臨むも0対21で敗れた。勝利した天理ナインは、甲子園出場を決めても生駒の選手たちの心情に配慮して喜びを表さず、高校野球ファンの胸を打った。そのお返しとばかりに、天理が戦った甲子園の二回戦(8月12日)を、アルプス席から生駒のナインが応援する姿もあった。
わたしも全国の地方大会を廻るなかで、コロナによる登録メンバーの変更は幾度も目にした。大会途中に陽性者となった選手が、隔離期間を終えて復帰することもあった。地方大会は甲子園で行われる選手権大会と違ってPCR検査が義務づけられていない。それゆえ陽性認定されて欠場を余儀なくされても、発症日をはっきりさせず、早期復帰させる学校もあったという。
しかし、ベストメンバーは組めずとも敗れて引退を迎えられただけ、彼らは幸せだったかも知れない。宮城大会の準決勝を辞退した仙台南のように、戦わずして最後の夏を終えたチームもある。群馬の西邑楽もその1つだ。
7月12日に行われた群馬大会一回戦で延長タイブレークの末に劇的勝利を挙げた西邑楽は、同18日の二回戦で藤岡中央と対戦する予定だった。ところが、試合の3日前となる15日になって3人の陽性者が出てしまう。柳沢英希監督(41才)が振り返る。
「主力の3人がいない不安はあっても、それでもなんとか試合はできると思って準備していました」
だが、翌16日に1人の選手が体調不良で練習に現れない。検査結果は陰性だったが、17日になって別の2人が発熱し、練習を中止して自宅待機を指示。そのうち、1人の陽性が確認された。辞退もやむを得ない──柳沢監督はそう考えていた。校長に伝え、学校医とも相談を重ねた。
「感染が広がっている状況で、試合に参加してしまって、対戦相手や関係者に感染させることはできません。どこかで(感染拡大を)断ち切らなければならない。決定的だったのは、レギュラーの半数が感染してしまったこと。それで出場辞退という結論になりました」(柳沢監督)
柳沢監督は陽性者を除いた3年生の部員1人ひとりに電話をかけた。最終決断は、直接伝えなければならない。直感的にそう感じた。
「こんなことになって申し訳ない。理解してくれ」
電話の向こうでは、ほとんどの部員が泣いていた。
「みんな試合に負ける悔しさは知っています。しかし、コロナで出場辞退するというのは、誰もが経験したことのない感情で、ショックは計り知れません」(柳沢監督)