緊迫した投手戦、息をつかせぬ乱打戦──炎天下の甲子園球場(兵庫・西宮市)で、高校球児たちがはつらつとグラウンドを駆ける。だがその裏で、選手たちは相手チームとは別の“見えない敵”との戦いも強いられていた。ノンフィクションライターの柳川悠二氏が、コロナ禍の影響を受けた球児たちの夏をレポートする。【全3回の第3回。第1回から読む】
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いつ、どのタイミングでクラスターが起きるかは球児にとって、まさに天国と地獄だ。前述したように、甲子園出場校の選手は事前に全員PCR検査を受けた。対象者は1600人を超えた。それだけ大きな規模で検査を行えば、陽性判定を受ける選手が出ることは避けられない。
地方大会後の検査で集団感染が判明した浜田(島根)、有田工(佐賀)、九州学院(熊本)、帝京第五(愛媛)の4校は、初戦の組み合わせでも日程が調整され、登場が最も遅い大会8日目(8月13日)に組み込まれた。それまでに陽性者がチームに復帰し、登録メンバーを変更することなく戦うことができたが、異例の対応には批判的な意見もあった。有田工に勝利した浜田の家田康大監督は感謝の言葉を口にした。
「たくさんのご意見があるなかで、寛大な措置をとっていただき、日程まで考慮していただいて、感謝の気持ちでいっぱいです。子供たちが喜んでいる表情を見ることができて、心動かされています」
島根大会の決勝が行われた7月28日のあと、登録メンバーの大半が陽性者となった。陰性者だけの練習を続けていたなか、8月9日、10日に快復した選手が練習に復帰。11日に甲子園に入って、2日後に試合を戦った。先発した2年生左腕の波田瑛介もコロナに苦しんだひとりだった。
「発熱はあまりなくて、咳だけ。自宅で10日間ほど隔離生活を送っていました。柔軟(体操)とか、肩肘のインナーマッスルを鍛えたりしていましたが、ボールは投げられませんでした」
長い期間、キャッチボールすらしていない投手がマウンドに上がる不安は計り知れない。
「自分はバランス良く投げるのが身上なんですけど、下半身が使えなくて、思うようにいきませんでした。目指す存在は(浜田の先輩で、同じく夏の甲子園を2度経験した)和田毅さん(プロ野球・福岡ソフトバンク)です。これから追い越していきたい」(波田)
一方、大きな混乱に陥ったのは、やはり組み合わせが決まったあとに陽性者が出た県岐商や九州国際大付(福岡)だ。当然ながら、試合日程を変更することは不可能。大会本部は感染拡大予防ガイドラインを改定して登録メンバーの入れ替えを可能とし、試合の72時間前の時点で全員の陰性が確認されれば出場が可能という柔軟な対応を行った。