夏の甲子園は8月22日に仙台育英(宮城)と下関国際(山口)が深紅の大優勝旗を懸けて対決する決勝を迎える。甲子園へとつながる夏の地方大会で、異彩を放つ試合として注目を集めたのが、千葉県大会での「0-82」という記録的大敗を喫した「わせがく高校」だった。当日、選手たちはどのように戦ったのか。同校野球部に密着取材した経験を持つノンフィクションライター・柳川悠二氏(新刊『甲子園と令和の怪物』著者)がレポートする。【前後編の後編。前編から読む】
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「82対0」という千葉学芸対わせがくの千葉大会2回戦は、記録ずくめの試合となった。
千葉学芸の82得点は千葉大会記録であり、1998年の青森大会で東奥義塾が深浦戦で記録した122得点に次ぐ史上2番目だ。ちなみに当時の青森大会は5回コールドの規定がなく、この試合は7回まで行われている。
さらにわせがくが浴びた51安打、17本塁打も千葉大会の記録。試合時間は3時間13分にも及んだ。
長い長い試合を終えた田村勇樹監督(28)は、記者から「記録ずくめとなった試合の感想は ?」という質問を受けても、最初は理解できなかった。
「いったい何が記録なのか、と(笑)。わせがくの野球部は毎年、単独出場にこぎつけるまでが本当に苦労していまして、今年も正式部員は7人でした。他の部の生徒に声をかけて、なんとか12人(登録メンバーは14人)で当日を迎えられましたが、そのうちの3人は野球をやったことがないどころか、普段から運動をしたこともないような生徒でした。ですから、ライトをそういう生徒に守ってもらって、ある程度、出場時間を区切って、交代するようにしていました。ところが、初回の守りだけで1時間以上になるとは思っておらず……」
初回に32点、2回にも33点を奪われた。続々と外野手を交代したため、2回途中で控え選手がいなくなってしまった。そして、ひとりでも退場者が出てしまえば棄権せざるを得ない状況となって、セカンドを守っていた選手が熱中症を発症してしまう。
「審判の方が特例で設けてくださった(5分間の)給水タイムによって、なんとかその選手が戻ってこられて、試合を再開することができました。もし、次に何かあったら、途中棄権するしかない。そういう心づもりで、試合の行方を見守りました」(田村監督)