先住民族・アイヌが「カムイ(神)」と崇めたヒグマが、北の大地で暴威を振るっている。この3年間で襲われた牧牛は60頭以上。最凶グマが人をあざ笑うかのように立ち回る一方で、ハンターらにも知られざる苦悩が──。【前後編の後編。前編から読む】
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現代も続くヒグマ駆除だが、北海道開拓の歴史はヒグマとの戦いだった。
1915(大正4)年12月、北海道苫前村三毛別(現・苫前町三渓)で死者7人を出す史上最悪の熊害(ゆうがい)事件が起きた。開拓集落に体の大きさ2.7m、体重340kgのヒグマが現われ、数度にわたって民家を襲撃。7人がクマに殺された事件だ。最初の犠牲者の通夜にヒグマが乱入して遺体を荒らしたほか、民家で妊婦を襲い胎児を引きずり出すなど、クマの行状は凄惨を極めた。
一方、日高山脈のカムイエクウチカウシ山で発生した「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」(1970年7月)では、登山中の大学生5人のパーティーがメスのヒグマに襲われ、うち3人が死亡。人間の食料の味を覚えたクマが、登山者のリュックを狙ったことで起きた悲劇とされる。
道内では、統計の残る1962年以降、ヒグマによる人身事故が毎年発生し、昨年までの死傷者は163人を数える。
現在でも、春先に山菜採りで山に入った人がヒグマに襲われるケースが後を絶たないが、最近は市街地でも油断できない。
2021年6月早朝、札幌市東区の住宅街に体長1.6mほどのオスのクマが出没。街を徘徊し、住民に大ケガを負わせる事件が起きた。その後、クマは陸上自衛隊丘珠駐屯地の正門から内部に侵入。40代の男性隊員が脇腹を噛まれるなどした。
現在まで、OSO18によると見られる人への加害は確認されていないが、最悪のケースも想定しなければならない。ハンター歴60年を誇る、北海道猟友会標茶(しべちゃ)支部長の後藤勲氏は語る。
「道東でも牧場が次々と開拓され、クマが住む森へ人が進出した。そこで繁殖し放牧されている牛を、クマが狙うようになったというわけです。『そのうち人間のほうが檻に入るようになる』と冗談をいう人もいるほどです」
「クマを殺すな」の抗議
かつて道内のヒグマは減少を続け、1990年には5200頭を数えるほどだった。ところが、同年に春グマ駆除が廃止されてから増殖し、2020年度は1万1700頭ほどになっている。
今後、OSO18のような賢い個体が子孫を残せば、罠にかからない方法を学習し、食料を得るために人里に現われるヒグマが増える可能性も十分にある。クマが人を恐れなくなれば、偶発的な事故も起こり得るだろう。
惨事を防ぐためにも猟友会は大きな役割を担っているが、ハンター側には様々な制約がある。猟友会厚岸(あつけし)支部の根布谷昌男事務局長はこう語る。
「まず弾が入手困難。主に銅製の銃弾を使うが、多くはアメリカからの輸入品。工場がコロナの影響で止まったほか、銃規制がかかるのを見越して買い占めが起きているらしく、日本への供給が滞っている。値段も従来の2倍です。銃弾が入手できなければ自治体から要請を受けてもヒグマやエゾシカの駆除ができなくなってしまう」