深紅の大優勝旗がついに「白河の関越え」を果たした。夏の甲子園を制した宮城・仙台育英の戦いぶりは、まさに“新時代の高校野球”そのものだったと言えそうだ。投手の酷使などが問題視され、大きな変革期を迎えている高校野球。それだけに、各校の戦略の違いもくっきりと浮かび上がる大会だった。ノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。
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ヒーローなき優勝校――それが東北勢として初となる仙台育英(宮城)の優勝で幕を閉じた第104回全国高等学校野球選手権大会を総括する一言ではないだろうか。
決して、スター不在という意味ではない。仙台育英は須江航監督の掲げる「日本一の部内競争」を勝ち抜いた18人の精鋭が互いを補い合い、手堅い守りと、圧倒的な走力で相手に一分の隙を見せない野球を展開した。部内に十数人いる140キロオーバーの投手陣の中からベンチ入りした選ばれし5人(右投手2人、左投手3人)が、与えられた役割を恐ろしいほど淡々とこなして相手打線を封じた。
2回戦からの登場となった仙台育英は、決勝まで5試合を戦った。5人の投手陣で最も球数を投げたのは決勝で先発した3年生左腕の斎藤蓉(よう)で213球だ。胴上げ投手となった2年生右腕の高橋煌稀が188球で、高校日本代表に選出され、最も経験豊富な背番号「1」の古川翼でさえ124球。さらに右のパワーピッチャーの湯田統真が122球、千葉ロッテの佐々木朗希と同じ大船渡第一中学出身の仁田陽翔が81球である。
多くの高校野球ファンが思ったに違いない。いったい誰がエースなんだ、と。
決勝の下関国際(山口)戦で勝負を決めたのは、7回に飛び出した岩崎生弥の満塁本塁打だった。宮城大会ではベンチ外だった岩崎は、大会当初はベンチスタートも、準々決勝から一塁手としてスタメンに定着した。大病を乗り越え、逆転でベンチ入りした岩崎の一発なだけに、高校野球ファンの胸を打った。
宮城大会から甲子園決勝まで、仙台育英が記録した本塁打はこの1本のみ。それでも甲子園では計69安打。長打には頼らず、単打をつないでつないで、つなぎまくって聖光学院戦では2回に11点、下関国際戦では7回に5点のビッグイニングを作った。
突出した選手に依存しないチーム作り――それに徹したからこそ、仙台育英には特定のヒーローがいない。いや、日本一の部内競争を戦い抜いたスタンドを含めた部員全員がヒーローと換言できよう。