名曲『サライ』が生まれたのは1992年。『24時間テレビ』(日本テレビ系)の生放送中に楽曲制作が行われた。以来、世代を超えて多くの人々に歌われてきた。だが、その名曲を作った加山雄三(85才)は今年を最後にマイクを置く。なぜ人は『サライ』に聞き入るのか、なぜ心をこれほどまでに揺さぶり、奮い立たせるのか。
『24時間テレビ』で長い道のりを走ったランナーたちは、ゴールで出迎えてくれた『サライ』をどんな思いで聴いていたのだろうか。1996年、「つなげよう!愛のタスキリレー 日本列島縦断3600キロ」と題した600人によるタスキリレーマラソンのアンカーとして、番組史上初めて放送時間を延長してのゴールとなった赤井英和(63才)が語る。
「マラソンの依頼があったときは二つ返事で引き受けました。でも、実際に走るとそれはもう大変で(苦笑)。当時はまだ37才で体力に自信はありましたが、スタート時間が遅れ、挽回しようと必死に走っていたら残り10kmのところで足がつってしまった。それまで放送時間に間に合わなかったことはなかったので、焦りもありました」
スタッフから武道館の様子や放送を伝えられ、それを力になんとか走りきることができたという。
「ようやく武道館に着くと『サライ』が聞こえてきました。あのときの感動は、いまでも忘れられません。ステージに走って下りていくと、ウチの奥さんが出迎えてくれていた。いつもの普段着のままだったから、家から急遽駆けつけたんでしょうね。倒れこむようにゴールしたときは“やっとゴールできた”と感無量でした」(赤井・以下同)
いまでも赤井はカラオケで『サライ』を歌っているらしいと話す。
「らしいというのは、お酒を飲んで酔っぱらって覚えていないから(苦笑)。奥さんに聞くと、みんなでよく『サライ』を歌って盛り上がってるって。『サライ』は年代問わず、みんなで体を横に揺らしながら大合唱できる。誰もが元気になれる曲ですね」
北斗晶(55才)は2012年、夫・佐々木健介(56才)と当時13才と9才の2人の息子の家族4人で、リレー形式で120kmを走破した。
「ゴールの後、加山さんと谷村さんが“お疲れさま”“よくがんばったね”って声をかけてくださいました。子供たちにも声をかけてくださっていて、すごくうれしかったです」(北斗・以下同)
ランナーに選ばれるまで、北斗にとっての『サライ』は「あくまでもテレビから流れる曲だった」という。