数多くの歌手・女優の衣装や、時にプライベートの服まで手掛けたというファッションデザイナー・森英恵さん(享年96)が8月11日、この世を去った。
1926 年、森さんは島根県の六日市町(現・吉賀町)で、個人病院「藤井医院」に5人きょうだいの4番目として生まれた。小さな町で戦後復興の最中を育った森さんは、兄2人が医者になり、姉も医大に進学していたことから、父から医学部受験を勧められた。しかし、森さんは真っ向から反対、父に無断で願書を出した東京女子大学国文科に進学した。そして、大学卒業後の1947 年、陸軍の兵器工場にいた14才年上の森賢さんと結婚した。
森さんは当初、デザイナー志望ではなかったという。過去に『女性セブン』の取材に対して森さんはこう語っている。
「専業主婦はもの足りないし、気に入る洋服がなかなか見つからなかったことで、家族や自分の服を自分で縫えるようになりたいと思って洋裁学校に通い始めたんです。それがとてもおもしろくてね。途中で長男を妊娠して、大きなお腹を抱えて大変でしたけど」
1951 年、新宿のビルの2階を借りて洋装店『ひよしや』を開店。ガラス張りのモダンな店舗で最新デザインの商品を並べ注目を集めた。すぐに映画界からの衣装製作の依頼が殺到。2人の子供を育てながら働き続け、あまりの働きぶりに「女ナポレオン」と呼ばれた。
1961 年にはフランス・パリに渡航。ココ・シャネルの作品に感銘を受け1965 年には初の海外コレクションに参加。1977 年にはフランス・オートクチュール組合に加入、1980 年代半ば、ブランド「ハナエモリ」として年商400億円を突破した。
だが、1996 年に最大の理解者だった夫の賢さんが心不全で他界。さらに、バブル崩壊のあおりでオートクチュール市場自体が低迷、2002 年には負債総額101億円で会社『ハナエモリ』は倒産した。しかし、“利益につながらなくても、次の世代にオートクチュールを伝えたい”という思いで、倒産の直前まで森さんは第一線で奮闘し続けていた。
2010 年に上梓した著書『グッドバイ バタフライ』(文藝春秋)で、森さんは自身の半生をこう振り返っている。
「いろいろあったけれど、私は衣服をつくるために生まれてきて、終わっていく人生だと、この頃しみじみ感じるのである。(中略)デザイナーという人生を歩んで、私は幸せだった」
トレードマークの蝶のように、羽ばたき続けた森さん。その羽がいま、そっと閉じた。日本にとどまらず世界で愛された「ハナエモリ」の衣装をピックアップしました。
●美空ひばりさん(享年52)
森さんが “忘れ得ぬ顧客のひとり”と語っていたのがひばりさん。森さんが初めてひばりさんのステージを見たとき、客席からの拍手を受けたひばりさんは「この拍手は私にだけじゃなくて、この衣装にもでしょ。デザインしてくださったのは森英恵さんなんです」と紹介したという。