放送作家、タレント、演芸評論家、そして立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は高田氏が同世代の脇役日本一と評する、石倉三郎について綴る。
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古い知り合いに久しぶりに会うのもいいもんだ。それが同世代なのに無茶苦茶元気だとなお嬉しい。
今では脇役日本一のような「Mr.サブ」、その名も石倉三郎。サブの仕事なら任せとけ。役の幅も“コント・レオナルド”時代から広く、不器用な田舎の駐在さんやら頑固な板前さん、気の弱いヤクザ。もう何でも来いである。人生経験の豊かさがその芸に出る。あれだけ怖そうな顔をしてて根っから優しい、周りは何だか放っとけなくなる。
若き日、三木のり平に惚れ込み門を叩こうと小豆島から上京。青山のスーパーでバイトをしていたら年中、あの高倉健さんが近くの喫茶店でお茶を飲んでいる。何度も会ううちに顔なじみになり、健さんの方から「役者やりたいんだったら東映来るか」と野球で言えばスカウト。
健さんの下で役者修行。名前も健さんから「倉」の一文字をもらった。ヤクザ映画大全盛期に鍛えられているからハンパじゃない。
健さんのところをあがって世界の『SUKIYAKI』坂本九のところでショーの司会やらテレビの仕事。当時、NHKの子供番組で坂本九司会の『こども面白館』というのがあって、私は若き構成者として台本を書いていた。その頃、夢を追う2人は出会って気も合った。番組のスタッフ呑み会などあると三郎と私で漫才のようなMCをやって好評だった(まだ20代という時代が我々にもあったのだ)。
数年後、サブは九さんのところへ行き、「コントをやりたいのでここをあがらせて下さい」。考えた九さん数日後「コンビの相手は居るのか。だったらまず台本を高田ちゃんに書いてもらいなさい」若き相方とやってきたサブに、30枚位の原稿用紙に書いたコントを渡した。