昨年11月に逝去した、歌舞伎俳優の中村吉右衛門さん。この9月には歌舞伎座で1周忌追善公演が行われ、追悼本も続々刊行されるなど、その死を惜しむ動きはまだまだあとを絶たない。そんな吉右衛門さんの芸に命を懸けた日々を支え、ともに歩んできたのが妻の波野知佐さんだ。19歳で嫁いでから半世紀近く、一番近くで見つめ続けてきた名優の人生を振り返っていただいた。
二代目としての宿命を背負った役者に嫁いで
昭和50年5月30日、ホテルオークラで華々しく執り行われた結婚披露宴。新郎は歌舞伎界の花形役者、中村吉右衛門31歳、ひとまわり下の知佐さんは、まだ19歳の若き花嫁だった。
「主人と私は“はとこ”の間柄。結婚の経緯につきましては、今回刊行した『中村吉右衛門 舞台に生きる』の中で詳しくお話しさせていただきましたが、義母と私の父の会話から『お嫁に来ない?』ということになったのが始まりでした。私もあまり深く考えずに“はい”と返事をしてしまったように覚えています」
中村吉右衛門さんの実母は、明治・大正・昭和を代表する名優、初代吉右衛門の一人娘。八代目松本幸四郎(後の初世白鸚)と結婚するにあたり“男の子を二人産んで、一人は播磨屋(吉右衛門家)の跡取りにする”と約束していたという。こうして、生まれる前から祖父の養子となり、その跡を継ぐことを運命づけられていた吉右衛門さんは、知佐さんと結婚した30代の頃は常に“何か目に見えないものと毎日闘っているような感じ”だったと語る。
「私は芝居のことがまったくわかりませんでしたから、何でこの人は自分の状況を理解してくれないのかと思っていたかもしれません。初代の芸を受け継ぎ、二代目として恥ずかしくない役者にならなければという、生まれながらに背負ってしまった重圧もあったのでしょう。昔は将来に不安があったのでしょうか、よく“五十で出家”などと申しておりました」
与えられた使命に対し真摯に実直に向き合おうとするからこそ、立ち塞がる壁も大きかったのであろう。それでも役に向き合い、舞台に立ち続けていくなかで役者としての評価は高まっていった。
「少しずつ座頭としての公演が増え、自信に繋がることが増えていったのかもしれません。何より秀山祭を始めることができたのが大きかったですね」