「思い出を、絶対に崩さない」
芸能界は過酷だ。同じテイストの曲が続けば、すぐに飽きられ、新たな歌手にその座を奪われてしまう。今回1位を取ったからといって、次回も1位になる保証などどこにもない。明菜は理想を追い求めるゆえに、「スタッフに厳しい」と評判が立つこともあった。その噂について、こう述べている。
〈「中森はこういうふうに売っていきたいので、そういう番組に出るのはよくないです」と言うとします。(中略)客観的に物を言っているつもりなのに、「この番組は嫌い」と感情で言ってるととられてしまう。私はあくまでプロデューサーの立場で、歌手・中森明菜のために言ってるつもりなのに、単なるワガママだと思われてしまう〉(『婦人公論』1999年3月22日号)
仕事に対して妥協を許さない明菜は、誰よりも自分に厳しかった。
〈歌って、思い出を作ってくれるじゃないですか。時間もそうだし、呼吸、空気、香りも…。その歌に、宝箱のように、ある瞬間までをも、皆さん大事にしまっているんですね。その思い出を、絶対に崩さないというのが大前提〉(前出『日刊スポーツ』)
この言葉からは『1980年代の中森明菜』のイメージを保とうとしていた姿が浮かぶ。ストイックだったから、彼女は頂点に立った。一方で、その厳しさが己を必要以上に追い込んでいたのかもしれない。
見る側は当時と同じ歌声、姿を求めがちだ。しかし、どんなに結果を残したスポーツ選手であれ、どんなに輝きを放った芸能人であれ、10代や20代の頃と同じパフォーマンスをできる人間など存在しない。それは自然の摂理である。明菜が尊敬する矢沢永吉はこんな発言をしている。
〈誰だって老いて枯れていく。その<枯れ方>なんですよ。「矢沢、老けたよね。でもあいつは幸せに老けていってる。悔しいな」と思わせたら、俺の勝ちだよね。でもさぁ、ファンって始末悪いよ。矢沢、年取らないと思ってるのね〉(『週刊プレイボーイ』1995年10月31日号)
誰もが年齢を重ねる。そして、50代には50代の良さがある。明菜の体調が回復して復帰した際には、見る側も彼女に『1980年代の中森明菜』を求めるのではなく、『2022年以降の中森明菜』を楽しむ気持ちを持ちたい。
■文/岡野誠:ライター、松木安太郎研究家。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)では本人へのインタビュー、野村宏伸など関係者への取材などを通じて、人気絶頂から事務所独立、苦境、現在の復活まで熱のこもった筆致で描き出した。巻末資料では公式本にも載っていない『ザ・ベストテン』の年別ランキングデータを収録。田原の1982年、1988年の全出演番組(計534本)の視聴率やテレビ欄の文言、番組内容なども掲載している。