ロシアによるウクライナ侵攻から半年が過ぎた。激しい戦闘が今なお続いているが、日本国内の報道は減っている。ウクライナからの避難民が、すぐそばにいるのに──。東京・山谷にたどりついたウクライナ難民の今について、ノンフィクションライターの水谷竹秀氏がレポートする。
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ブロンドヘアーを束ねた若い外国人女性が、ハーフパンツからすらりと伸びた足で颯爽と歩く。カメラのレンズを向けると微笑を浮かべ、周囲の高齢者たちは「何事か?」とこちらを一瞥してくる。かつては「ドヤ街」と呼ばれたここ東京・山谷地域に宿泊する外国人観光客は珍しくなくなったとはいえ、彼女が戦火のウクライナから逃れてきた避難民だとは知るまい。
うだるような暑さとなったある夏の日、ウクライナの首都キーウ出身のヴィクトリア・ビドゥナさん(21)は、山谷のスーパーで夕食の買い出しをしていた。手にしたのは、握り寿司10貫入り約1000円のパックだ。
「日本食は大好きです。家に紅茶がなくなったので、それも買いに来ました。ここは夜9時になると値引きされるのも知っていますよ!」
そう流暢な日本語で話すヴィクトリアさんは、買い物を済ませると、近くの都営住宅に帰宅した。部屋では弟のアルテム君(17)との2人暮らしだ。住宅には現在、ウクライナの避難民10数組が生活をしている。
近くの路上では真っ昼間から男たちの酒盛りが開かれ、公園に並ぶテントでは路上生活者たちが寝泊まりする。山谷になぜ、ウクライナの避難民が集団移住しているのか。
避難民を日本政府が受け入れ始めたのは3月上旬。出入国在留管理庁によると、これまでの避難民入国者数は8月21日現在、1775人に上る。その大半が女性たちだ。
ポーランドやルーマニアなどウクライナの近隣諸国ならまだしも、飛行時間にして10時間は軽く超える日本は遠く、言葉の壁や異文化への適応など生活には困難も生じるはずだ。しかし、彼女たちからそうした本音はあまり聞こえてこない。ある在日ウクライナ人が明かす。
「言葉の問題など困っている避難民もいますが、日本政府から支援をしてもらっているという負い目があるので、文句を言いにくいのです」
同じように母国を逃れたアフガニスタンやミャンマーの難民などと比べ、ウクライナの避難民だけが「優遇」されているのではないか、という声も関係しているのだろう。
3月下旬から5月中旬まで、ウクライナで50日間にわたる取材を終えた私は、日本に帰国後に避難民の取材を開始した。すると親族や関係者から、こんな実情が寄せられた。
「高齢の母が来日しましたが、日本語ができないので買い物にも行けず、テレビも見られません。家族は日中、皆出かけてしまうので、1人で寂しい思いをさせています」
「何らかのトラブルが起きて身元引受人の家から避難民が失踪してしまいました」
さらに取材を続けていく過程で出会ったのが、ヴィクトリアさんだった。