バブル全盛の1980年代にテレビを中心に活躍し、今も多くの人の記憶に残っているチャック・ウィルソンさん(75)。最高視聴率33.8%を記録した『世界まるごとHOWマッチ』(1983~90年、MBS・TBS系)では、司会の大橋巨泉さんとの丁々発止のやりとりでお茶の間を沸かせた。今年の10月で76歳になり、「もう後期高齢者だよ」と本人は笑うが、今も昔と変わらぬ体型を維持し、愛する日本に住み続けている。チャックさんが、懐かしい思い出の日々を振り返る――。【全3回の第1回】
第二次世界大戦後の1946年にアメリカ・ボストンで生まれたチャックさんは、日本でいう団塊の世代。23歳で同志社大学に柔道留学するため来日し、その後、アメリカ人が麻布に設立したスポーツジムの共同経営者に転身。北アジアを統括する本部長として日本や韓国、台湾や香港を飛び回る日々を過ごしていた。
ビジネスに燃えていた人生が変わったのは1983年。スポーツジムの会員だった広告代理店の社員から、「あなたはキャラクターがいいから、テレビに出てみないか」と『HOWマッチ』の出演を持ちかけられたのだ。
「当時、興味があったのはチャンバラの時代劇だけ。クイズやバラエティはほとんど見たことがなく、大橋巨泉さんや石坂浩二さん、ビートたけしさんのことも知らなかった。テレビ出演なんて考えてもいなかったけど『値段だけ考えればいい番組だから簡単ですよ』と言われ、スポーツジムの宣伝になるならと軽い気持ちで出演をオーケーしました」(チャックさん、以下同)
外国人タレントの先駆け
『HOWマッチ』は世界中の物品の価格、権利やサービスなどの値段をクセ者揃いの解答者が当てる番組だった。チャックさんは、最初の収録でいきなり周囲を唖然とさせた。司会の大橋巨泉さんの説明が足りないと、大声でこうまくし立てたのだ。
「オーイ、巨泉さんよぉ、ちゃんと説明しろよ。まったくわかんないじゃないかよ!」
本人が笑いながら“釈明”する。
「僕は日本で警視庁の元機動隊員に柔道を習っていたから、そこで吸収した荒っぽい日本語をそのまま使ってしまった。収録が終わってから巨泉さんに『乱暴な言葉を使ってすみません』と謝ったら、『いやいやチャックさん、番組の役に立てばいいんです。みんな気に入っているから大丈夫』と言われました。周囲は、“変な日本語を話すゴッツイ外国人”が面白かったみたいで、その後もテレビに出続けることができました」