インターハイ取材時に、優勝選手にインタビューしようとしたら、日本語も英語も話せず、慌ててコーチに通訳をお願いしたと新聞記者が苦笑していたことがある。スポーツを強くしたいために外国人留学生を呼んだものの、勉強も地域との交流もおろそかにして練習だけさせた結果、そのようなことになったらしい。ここまで極端ではなくとも、地元選手が一人もいない●●県代表校という存在は、高校野球では珍しくない。県外の人、その地域の外の人という意味で「外人部隊」と揶揄されることもある高校球児は、学校の地元とどのように向き合っているのか。ライターの森鷹久氏が、元「外人部隊」選手に聞いた。
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夏の甲子園大会は、宮城代表の仙台育英高校が、東北に初めて深紅の優勝旗を持ち帰るという歴史的な形で幕を閉じた。お祝いムードが漂う一方、ネット上では、優勝メンバーの中に「宮城・東北出身でない球児が複数いる」という指摘もある。そして「強豪チームは“外人部隊”だから強い」という結論に落ち着くのも、近年の一つの流れである。
「僕も元“外人”でしたね。かなりいろいろ言われて、高校生の自分にはつらいことも多かったですが、そういう困難を乗り越えたことも、自分の自信にはつながっているのかと思います」
黒木啓治さん(仮名・30代)は、高校三年時にX県代表として夏の甲子園大会に出場。出身はX県と同じ地方の別の県であったが、新設校でスポーツにも力を入れたいという母校の意向、そしてチーム監督の強い手引きがあり、高校進学と同時に自宅を出て、寮生活を始めた。
「新設校だったこともあり、新たに集められたメンバーのほとんどが、他県出身者。レギュラーメンバーに至っては、県内出身者は一人のみ。練習試合に行くと、寄せ集めとか外人とか、こそこそ嫌みを言われることもありました」(黒木さん)
県内にある野球の強い公立高・伝統市立校は、保護者や地元からの力強いバックアップがあったが、黒木さんのチームにそういった後ろ盾はなく、孤立感、後ろめたさまでを感じることもあったと振り返る。
しかし、そういった困難は、練習を重ね、県内外の強豪校と練習試合などを重ねていく内に、自然に薄れていったという。
「応援されない寂しさはありましたが、県外には同じような境遇の中で頑張る子はたくさんいたし、他人の目を気にしなくなっていったんですね。強くなるためにはこれを乗り越えるしかないと」(黒木さん)
結局、黒木さんが三年生になる頃には、チームは県下随一の「優勝候補」と目されるようになり、さまざまな揶揄の声も少なくなっていった。
「いや、それでも、部外者ばかりという人は、高齢者を中心に多かったと思いますよ。県内の別の私立校も県内各地から選手を集めていたんですが、それですら“やり過ぎ”と地元では揶揄される」(黒木さん)