【著者インタビュー】山添聖子氏/『歌集 じゃんけんできめる』/小学館/1700円+税
奈良市在住の山添家では、母・聖子さんと小学6年生の葵さん、そして3年生の聡介君の3人が3人とも、朝日新聞紙上の「朝日歌壇」(毎週日曜掲載)の常連入選者として知られる。毎週約二千首以上の中から、4人の選者がそれぞれ入選10首を選ぶ狭き門。だが葵さんは目下110首中75首、聡介君は46首のうち36首が入選と、「高打率」だ。
聖子さんは10年前、2歳になった娘の何気ない仕草を〈タンポポの綿毛で練習したおかげ二歳のろうそくふぅーっと一息〉と初めての短歌に詠み、見事入選。
「実家も朝日新聞をとっていたので、歌壇に載ったら親も喜ぶかなと。完全なビギナーズラックでした」
その背中を見てか、二児のうち姉は5歳、弟は6歳から作歌を始め、親子3人、歌と共にある日常のきらめきやときめきが、本書『歌集 じゃんけんできめる』には溢れている。
この母と姉と弟の足かけ10年に亘る成長の記録では、〈弟は最初にグーを出すんだよだいたいパーを出すと勝てます〉と詠む当時11歳の姉に対し、〈じゃんけんできめるのぼくはきらいですだいたいお姉ちゃんがかつから〉と弟8歳が幼い意地を見せるなど、三者三様の全430首を作者別に収録。
「今はこの本が出たことに子らは2人とも高揚しているのか、毎週のようにやる気満々で投稿していますが、また新学期が始まったら3か月とか全く詠まないときもあったりします。短歌は自分の気持ちを表すツールの1つで、絶えず詠まなければいけないものでもないんでしょうね。
私自身は、昔から読書が大好きで、桜井市の実家から少し歩けば万葉集の歌碑があったり、“紅梅匂”など十二単のかさね色目の名前にうっとりしながら国語便覧を延々読んでいるような子供時代でしたが、まさか自分が歌を詠むとは思っていませんでした。それこそ娘が2歳の時、『今日な、葵がタンポポの綿毛でな……』と夫に報告した瞬間、『あ、リズムがいい。これ、そのまま短歌になるな』と思ったのが、全ての始まりでした」
題材もほとんどは日常だ。
「もちろん虚構や非日常を詠む方もいらっしゃいますが、私は思いつくタイミングが生活の中なんです。例えば息子と公園へ行って、鯉に麩をあげていたら、池中の鯉が寄ってきて、『この熱狂、何かに似てるな。そうだ、新興宗教の教祖様や』とか。それを携帯にメモして〈新しい教祖のように迎えられ麩をちぎる子に鯉のざわめく〉と後で短歌に整えるような詠み方です。
日常での気づきは母目線でも、それを歌にする時は一度“自分自身”に立ち返っているかもしれません。特に故郷を離れ、娘も小さかった頃は話し相手も少なく、でもその合間合間に集めた言葉で歌を作る時間だけは、自分をニュートラルに見つめられました。
負の感情も、『あ、これ、歌になるかも』とか『このつらさ、何やったっけ』と昔経験した何かに喩えると、俄然面白くなって、自分の遠くに置けるんですよね。そのおかげでつらさのループに堕ちずに済んだり、ずいぶん助けられました」