記録上、日本で初めて納豆が登場したのは平安後期に書かれたとされる『新猿楽記』だ。それから1000年──納豆は広く愛される“国民食”になった。しかも、その愛が深ければ深いほど、こだわりは強くなる。日本屈指の納豆ラバーたちが、まさに納豆の糸のように惹かれる魅力に迫る。
「いまでもこうして元気に歌えているのは、納豆効果かもしれません」
そう話すのは『赤い風船』『ひとり寝の子守唄』『知床旅情』『百万本のバラ』など数々のヒット曲を生み出してきたシンガーソングライターの加藤登紀子(78才)。毎年ツアーを開催し、年末恒例となった「ほろ酔いコンサート」は今年で50年を迎える。その元気の源は納豆だというが、もともとは苦手だった。
「満州のハルビン生まれで、小学校まで京都で育ったので、納豆を食べる習慣があまりなかった。納豆を食べるようになったのは、2002年に亡くなった夫の影響です。最初は得意じゃなかったけれど、食べ続けると好きになりますね。1日1回は納豆を食べています」(加藤・以下同)
1972年に結婚した夫の藤本敏夫さん(享年58)は、農業の理想を追求して1975年に「大地を守る市民の会」を設立した。1981年には千葉県鴨川市の山中に移住し、自然生態に沿った農場を始めた。
「藤本は、お肉など動物性たんぱく質は体を酸性にするし、畜産のために森林伐採をすることで森林破壊につながるから、納豆でたんぱく質を摂れば地球環境はよくなると言っていました。大げさですけど、何でもやり始めると徹底的にやる人だったので(笑い)。
一緒に茨城の水戸に納豆研究に行ったり、納豆サミットを開いて世界の納豆を食べたり。1985年には『地球納豆倶楽部』を創設して藤本自ら納豆を作るようになりました。以来40年近く、地球納豆倶楽部の納豆を食べ続けています。遺伝子組み換えではない国産大豆を使い、製法や鮮度にもこだわっている納豆です」
納豆というと朝食のイメージが強いが、加藤は夜に食べることが多いという。
「昼とか忙しいときにパパッと食べていたのですが、コロナ禍で、家で食事することが多くなってからは、夜に納豆が定着しました。ご飯だけでなく、うどんに混ぜることもあります。いつでも食べられるように冷蔵庫にも冷凍室にも常備しています」
腸の名医として知られる松生クリニック院長の松生恒夫さんによれば、「夜納豆」にはこんな効果があるという。
「夜間は体内の水分が失われ、血栓ができやすい状態になっています。そのため朝起きて血圧が急激に上昇したときに脳卒中が起こりやすくなる。夕食に納豆を食べていれば、ナットウキナーゼの効果で血栓ができにくくなるので、血管系の病気の予防につながります」