2019年5月、新宿・歌舞伎町近くのマンションの一室で、女性客から腹部をメッタ刺しにされ瀕死の状態になった歌舞伎町のホスト、琉月(るな)さん。その後、再び夜の街で復活を遂げた彼には、明かしてこなかった「家族の物語」があった。歌舞伎町の住人たちを取材した著書『ホス狂い~歌舞伎町ネバーランドで女たちは今日も踊る~』を持つノンフィクションライターの宇都宮直子氏がレポートする。
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一時は生死の境をさまよってガリガリにやせ細り、肝臓を刺された影響で、しばらくはホストにとって商売道具であるアルコールは摂取厳禁。彼を好奇の目で見る視線は街の内外から突き刺さる。そんな八方ふさがりの状況で、琉月さんはなぜ自ら復帰を選んだのか。また、彼はあの事件をどんな風にとらえているのか、そして今後、夜の街をどうサバイブしていくのか……。疑問がつきなかった私は、琉月さんが復帰してから現在に至るまで、彼の勤務するホストクラブ「Servant of Eve」へと足を運び、取材を重ねてきた。
琉月さんが「大好きな先輩」として慕うスーツの似合うベテランホストに、パーカーに金髪が似合う2.5次元俳優のようなアイドルホスト、長髪に濃いメイクを施したヴィジュアル系ホスト──来店を重ねるごとに、勤務しているスタッフたちとも何となく顔なじみになってくる。
2021年の夏のある日、琉月さんを訪ねて店に行くと、彼らに混じって背の高い、見慣れない外見の青年がいることに気がついた。ヘアワックスで無造作風にセットした黒髪の彼を指差し、琉月さんはこうはにかんだ。
「へへ、オレの弟なんです」
確かに、切れ長の目よく笑う細身の彼は言われてみれば、どことなく琉月さんに似ている。しかし、なぜ兄弟は同じ店で働くこととなったのだろうか。
琉月さんが生まれたのは1999年2月。栃木県那須郡で7人兄弟として育ったが、一家は琉月さんが幼い頃に離散。兄弟はそれぞれ別々の施設に預けられ、そのまま音信不通になってしまう。しかし皮肉にも、前述のように琉月さんが歌舞伎町で腹部をメッタ刺しにされた「歌舞伎町ホスト刺殺未遂事件」をきっかけに、連絡が取れるようになったのだ。
事件直後の2019年5月当時、琉月さんは私の取材に対しこう語っていた。
「病院に運び込まれたあと、緊急連絡先がわからなかったことから、警察が肉親を探し出してくれたんです。それで音信不通だった兄や姉、弟に会うことができました。5年ぶりに会った家族たちは、全然変わってなくって“生きててよかった”って、言ってくれた。きっかけは事件でしたが、連絡がとれるようになったのは、すごく嬉しいことでした」
肝臓を深く刺され、5日間も意識が戻らない状態で生死をさまよう重傷を負いながらも、「音信不通だった肉親に会えてうれしかった」と見せた琉月さんの笑顔は印象的なものだった。
その後、店に復帰した琉月さんはインスタライブにて弟と一緒にホストクラブの寮で暮らし始めたこと、そしてふたりが“同僚”になることを発表していた。琉月さんは事件後、自身の名前と鎮痛剤のCMのキャッチフレーズをかけ合わせ、一時〈痛みに負けルナ〉という源氏名を名乗っていたが、弟については「名前は、“ルナ”の弟だからロキソニンで、漢字で書くと『ロキソ 仁』かな」と、インスタライブの視聴者の笑いをとる彼の表情はいつになく穏やかに見えた。
さすがに「ロキソ 仁」は冗談だったようで、店内で渡された弟の名刺には琉月さんから一文字取って「睦月(むつき)」と印刷されていた。琉月さんは、アイスボックスを運んだり、ビールを継ぎ足したりと新人らしくかいがいしく働く睦月さんを見ながら「オレの精神安定剤。メンケア担当です」と微笑んだ。生まれて初めてであろう兄弟水入らずの安定した生活で、琉月さんの心は無意識のうちに癒やされていたのかもしれない。
歌舞伎町では家のない若い男の子でも、覚悟さえあれば、受け入れてもらえる。ホストクラブには即日入居も可能な従業員寮がついているところが多く、敷金や礼金などの手持ちがなくとも、着の身着のままで入寮し、そこを生活の拠点として働き始めることができる。