「二重写し」の魅力
説明の必要はないと思うが、のんは別の芸名で、NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』でデビューした(いま気がづいたが、『あまちゃん』と『さかなのこ』は海つながりだ)。『あまちゃん』は高視聴率を記録し、彼女の人気は爆発。このまま国民的アイドルの道をまっしぐらかと思われた。しかし、所属事務所との間にトラブルが発生し、彼女は事務所を辞め、まもなくテレビから姿を消した。
芸能界の事情に疎い僕にはなにが起こっているのかわからなかったが、「どうするのかなあ、あの子」とぼんやり思っていた。遠目から見ても、バラエティの司会者と如才なくやりとりしてお茶の間を笑わせるような器用さはなさそうだった。芸能界はビジネスの世界であるから、『さかなのこ』で描かれた生温かい高校とはちがう。彼女の居場所さがしは、『さかなのこ』のミー坊以上にハードだったかもしれない。
その後、彼女はのんとして再出発し、活動の場を主に映画に移して芸能活動を再開した。『この世界の片隅で』で声優としてののんに再会した時(このキャスティングも見事だった)、自分らしくいられる場所を模索しているんだな、うまくいくといいな、と思ったものだ。
本作品では、自分の居場所を求めて危うくブレるのんと、ミー坊というキャラが絶妙に重なり、映画にフィクションとリアルの二重写しの魅力を生み出している。もちろん、のんは実生活を引き摺ったまま撮影現場に来ていたわけではないだろう。俳優は素の自分のままカメラの前に立つことはできない。
しかし、いくら役作りをしても、その人のなにかは残る。それが俳優というものであり、それを狙って監督はカメラを回す。この映画では、のんとさかなクンになる前のミー坊が、ともに危うさと社会からのズレを孕んだ存在として、フィードバックし、不思議なエフェクトを生じさせているのだ。