魚類学者、タレントとして引っ張りだこのさかなクン(47)の半生を描く映画で、女優のん(29)が主人公ミー坊(男性)を演じる──性別にとらわれないキャスティングが話題の映画「さかなのこ」(東京テアトル配給、全国公開中)。本作がもつ魅力について、映画に造詣が深い小説家・榎本憲男氏が読み解く。*本記事は作品のネタバレを含みます。映画の内容に触れる箇所がありますのでご注意ください。
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現在上映中の『さかなのこ』(監督・脚本:沖田修一)はのんの魅力に彩られたハートウォーミングな映画だ。
のんの不思議な魅力とはいったいなにか。それを書く前に、この映画に仕組まれたキャスティングの彩について説明しておこう。
本作『さかなのこ』は、子供の頃から魚に夢中で、獲るのも眺めるのも食べるのも大好きと言う変わった子供が、魚に夢中になりながら、自分の居場所を見つけようとする話である。──と書くとすぐにおわかりのように、主人公のモデルは、お魚好きのテレビタレントさかなクンである。そのさかなクンを演じるのがのんだ。つまり、男性のキャラクターに女優を当てているわけである。
当たり前だが、のんの容姿がさかなクンに似ているからこのキャスティングになったというわけではないだろう。そしてこの危険で大胆な試みは意外にも成功した。また、この成功はのん以外では考えられないし、のんが巧みにキャラクターを演じたということによってもたらされたものではない。のんの存在感がキャラクターを新たに作り替え、映画のテーマをあぶり出したからである。では、のんという女優の存在感に潜むものはなにか。それは危うさとズレである、と僕は捉えている。
さかなクンをモデルにした本作の主人公の名はミー坊。さかなクンが、実際に小学生時代に呼ばれていたあだ名だと言う。ミー坊は、とにかく魚が好きで、その好きさ加減がハンパなく、まわりから浮きまくっている。強い言葉を使えば異常である。そして、私たちは、正常と異常との間に絶え間なく線を引き、異常を排除するメカニズムがいたるところで作動するような社会で暮らしている。
しかし、ミー坊にとっての高校時代は、その異様さで馬鹿にされたり、呆れられたりしながらも、居心地のいい空間だった。やがて、ミー坊は「お魚の博士になる」決心をする。これは、なかなかうまい手(?)だ。博士というスペシャリストになってしまえば、いくら異常だって、安定的な地位を保障されるというわけだ。
しかし、これが痛いところだが、ミー坊は勉強ができない。進路指導で、数学と英語はできなきゃ駄目、と先生にたしなめられるシーンがあるが、たしかに、いくら魚に詳しくても、英語で論文ひとつ読めないようでは、博士を名乗るのはキビシい。かくして、博士の道は閉ざされ、高校卒業後、ミー坊は社会の中で、居場所を求めてさまようことになる。さて、のんの存在感がじわじわと増してくるのはここからだ。