映画『ここに泉あり』(監督・今井正、主演・岸恵子)に、作曲家の山田耕筰氏(右)らと出演した際の1枚

映画『ここに泉あり』(監督・今井正、主演・岸恵子)に、作曲家の山田耕筰氏(右)らと出演した際の1枚

嫌なことには「ノー」と意志表示

 わたしの「人の言うことは聞かない」「『個』の意志を貫く」というスタイルは、筋金入りです。もちろん、「その通りだな」と思うことにはちゃーんと従いますし、ルールを破ろうと思って生きているわけでもありません。

 でも、無理に、嫌なことをしようとすると、からだが「ノー、ノー」と言い出します。そうそう、ベルリン(ドイツ)での出来事です。信号が青になったので、横断歩道を渡り始めたのですが、片道四車線もある大きな道路で、中央分離帯のところで、信号が変わってしまった。

 仕方なく、車がビュンビュン行き交う道路の真ん中で、次に信号が変わるのをじっと待っていました。渡りきると、どこにいたのか、警官がツカツカと近づいてきました。わたしのところに来るやいなや、威嚇するような声で、「なぜ中央分離帯にいたんだ」「なぜ渡れもしないのに行こうとしたんだ」とまくしたてます。

 どうしたかって? もちろん、わたしは負けていません「普通の速度で歩いていたのに、青信号で渡りきれないというのは、この距離に問題があるんじゃないですか」

 そもそも、途中で渡れなくなるような信号の時間設定がおかしい。ルールを破ったというなら、そのルールがおかしい。わたしが間違っているのではなく、規則が間違っているのだと、大声で反論しました。

 規則に厳格で知られるいかめしいドイツの警官も、これにはタジタジとなっていたようです。「次から気をつけるように」とだけ言うと、あさっての方向に歩き去ってしまいました。

「正義」といったって、ひとつではないのです。「常識」も国や文化によって違います。だからわたしは、世界のどこにいても負けません。……あのときの警官、まだお元気なら、いまごろ苦笑しているわね。

 ドイツで感心したことがあります。レストランでのことです。家族連れが近くのテーブルにいました。メニューを決めるときに、まだ10歳にも満たない子どもが「ぼくは何でもいい」と口にしたら、父親がたいそうな剣幕で叱ったのです。

「おまえに意志はないのか!」

 これには驚かされました。ドイツでは、自分の考えを持つことを、幼いころから叩き込んでいるのです。日本との考え方の違いを実感しました。「信号事件」も、きっとわたしがきちんと「意志」を表示したのが良かったのね。そういうことにして頂戴。
 
 このときのドイツのお父さんじゃありませんが、人間関係でも、「自分の意志」をきちんと口にすることが大事だと、しみじみ思います。嫌なことは「ノー」、間違っていると思うことにも「ノー」。そうでなければ、わたしはわたしでなくなってしまいます。

【プロフィール】
室井摩耶子(むろい・まやこ):1921年、東京生まれ。6歳でピアノを始め、東京音楽学校(現・東京藝術大学)を首席で卒業。1945年、ソリストデビュー。1956年に独ベルリン音楽大学に留学し、海外を拠点に13か国でリサイタルを開催。61歳で帰国後は、国内を中心に演奏活動を続けている。国内で現役最高齢のピアニストとして、大手メディアへの出演も多数。新著『マヤコ一〇一歳 元気な心とからだを保つコツ』が発売即重版となり、話題に。

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