現役国内最高齢ピアニストとして、テレビや新聞、雑誌などでその生き方が紹介され続けている室井摩耶子さん(101歳)。年を重ねるごとに、体の不具合も多くなってきた室井さんが、それでも自分らしく生きるために心がけていることは何か。新著『マヤコ一〇一歳 元気な心とからだを保つコツ』も話題の室井さんに聞いた。
* * *
人の話を「え?」と聞き返すことが多くなりました。年々、耳が遠くなっているのでしょう。困っちゃうけれど、これも年ね。音楽家にとって「耳」は命ではないか。「聞こえにくい」状態で、ピアニストなんてできるのか。きっとこんなふうに、思う方もいらっしゃるでしょう。心配いただいてありがとうございます。
でも大丈夫。「日常生活で使う耳」と「音楽活動で使う耳」は、どうやら違うようなのです。いまのところ、ピアニストとして音楽の音が聞こえにくい、ということがありません。
最近、発見したのですが、実は耳が遠くなったお陰で、とても助かっているんです。そんなことあるのかって? ええ、実際よくあるんですよ。
たとえば、マネージャーと打ち合わせをしているとき。仕事なので面倒でややこしい中身の話も多いのです。そんなときは、「聞こえないということは、聞かなくてもいいってことね」と勝手に受け流しています。
本当に大事なことだったら、向こうももう一度言ってきますからね。そうじゃないということは、大した話じゃなかったということでしょう。不思議なもので(これは小さいころからそうなのかもしれませんが)、「聞きたくない話」はどことなく察知できます。
相手の表情かしら? 耳が遠いと、こういった面倒なこと、聞きたくないことを、聞かなくてすむようになりました。便利でしょ? お世辞とか、褒め言葉とか、そういうことも聞かなくて良くなったので、これもとても好都合です。
わたしは「この一瞬」を生きてきました。100歳を過ぎたいまでも、「これから先」のことをあれこれ考えたことがありませんし、「これまでのわたし」を懐かしむこともありません。いつも目の前にあるのは「いま」。
たとえばリサイタルのとき。イブニングドレスに袖を通した瞬間、体中に緊張が走ります。あ、いまを感じている! わたしの瞬間です。リサイタルを終え、楽屋やホテルの一室に戻り、イブニングドレスを脱ぎ捨てます。その時間からもう、わたしは別の「次」に向かって歩みを進めます。
もう別の時間が動き始めているのです。「いま」の連続で、わたしの時間はでき上がっています。お世辞や褒め言葉は「これまでのわたし」に向けられたものが多いので、わたしにとっては「どーでもいいこと」、なんです。
でもそんなふうに無碍にするわけにはいかないので、おとなしく聞くのですが、「聞こえない」から聞き流せる。ほら、耳が遠いって便利でしょ?