巨人の終身名誉監督である長嶋茂雄氏(86)が緊急入院したニュースに、多くのファンから心配する声が上がった。その後「命に別状はない」と報じられたが、ファンにとっては“ミスター”の元気な姿を早く見たいところだろう。長嶋氏が残した数々の逸話は、私たちを元気にしてくれる。そんなミスターの伝説を振り返ろう。【全4回の第2回。第1回から読む】
長嶋氏が巨人でルーキーイヤーを迎えた1958年は、ちょうど団塊世代(1947~1949年生まれ)が小学校高学年になる時期にあたる。南海などで活躍した江本孟紀氏(75)は、まさにその団塊世代だ。
「僕らの世代が野球を始めるくらいの歳で一番憧れを抱き、影響を受けた人が長嶋さん。普及したばかりのテレビのなかに、異邦人のように登場した。団塊世代の記憶から、長嶋さんが消えることはないでしょう。いろんなポジションを守りましたが、長嶋さんのサードだけはやらなかった。僕にとって“聖域”で、畏れ多くて守れなかった。安易に憧れてサードをやったヤツはみんな不幸になったんじゃないかな(笑)」
江本氏の自慢は、長嶋氏の“最後の打席”でショートゴロに打ち取ったことだという。
「現役引退後、巨人と阪神のOB戦をやった時の対戦です。その後、長嶋さんが脳梗塞で倒れられた(2004年)。憧れの人とそういう関わりを持てたことが、自分の中では誇りです」(江本氏)
同時代のプロ野球選手にとっても、長嶋氏は憧れの存在だった。
元大洋のエース・平松政次氏(74)は得意のカミソリシュートで長嶋氏を幾度となく打ち取った“巨人キラー”だが、「子供の頃から長嶋さんの大ファン」と述懐する。
「僕の田舎の岡山では中継は巨人戦だけですからね。自分がマウンドに立ち、ONをバックに投げる夢を何度も見た。巨人が秋のオープン戦で岡山に来た時、長嶋さんのサインをもらったことをよく覚えています。ドラフトでは巨人への入団を願ったが、叶わなかった」
平松氏は入団2年目の川崎球場での巨人戦で長嶋氏に特大の場外ホームランを打たれている。
「プロでやるからには、憧れの気持ちは捨てないといけないと目が覚めた。僕を巨人キラーにしてくれたのは、長嶋さんの容赦ない本塁打でした。
ただ、引退後はゴルフのラウンドでもご一緒できた。その時は長嶋さんが履いているシューズが欲しいとねだりましたね。後日、同じ型の新品をプレゼントしていただいた。長嶋さんの使用済みがよかったのですが、それでも嬉しくて30年経った今も未使用のまま靴箱に入れてあります」(平松氏)
(第3回に続く。第1回から読む)
※週刊ポスト2022年9月30日号