リーダーの言葉は重要だ。コラムニストの石原壮一郎氏が「国葬」を機会に考えた。
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もうすぐ、国をあげての大きなお葬式が行なわれます。故人を悼む気持ちは十分にあるつもりですが、なぜそういう形式のお葬式にしたのかは、よくわかりません。それはきっと、そういう形でやることを決めた責任者が理由や根拠を説明しようとしないから。
そう、安倍元首相の国葬と、国のトップである岸田首相の話です。政府は「国葬」ではなく「国葬儀」と呼びたいようですが、姑息な理由の言い換えにつき合う義理はないので「国葬」でいいですよね。ともあれ賛否入り混じる騒がしい状況の中、いよいよ当日を迎えようとしています。
勢いで決めたのか長老に恫喝されたからかはわかりませんが、国葬にすることで支持率が上がると思っていたであろう岸田首相としては、完全にアテが外れました。国葬ではなく自民党葬にするのと、反対の声のほうが多い中で国葬を執り行うのと、さてどっちが故人に対して失礼だったのでしょうか。
就任当時から「体裁のいいことを言うだけで実際は何もしない」と言われ続けている岸田首相は、国葬の件でも本領を発揮しました。国葬について議論される国会の閉会中審査で答弁することを決めた岸田首相は、事前に「丁寧な説明を尽くしたい」と丁寧に言い続けました。
ところが実際には、これまでの主張を丁寧に繰り返すばかり。なぜ安倍元首相を特別扱いしたのか、根拠はあるのかなどについての「丁寧な説明」はありませんでした。ま、誠実に「丁寧な説明」をしようとしたら、表には出せない事情や黒い本音が出てきそうです。きっと苦渋の決断としての丁寧な繰り返しだったのでしょう。
国葬をめぐる対応は、岸田首相の「見習ってはいけない部分」の一例。話はコロッと変わって、たとえば中小企業の社長が「社員の親睦を深めたい。久しぶりに社内運動会をやろう」と言い出したとします。ところが、多くの社員から反対の声が上がりました。総務がアンケートを取ってみたところ、なんと大半の社員が反対という結果に。
社長としてはそんな“世論”を無視するわけには行きません。「私から社員に丁寧な説明を尽くすとしよう」と言い出しました。社員は「説明されてもなあ」と半信半疑で聞いていたら、社長の口から出てくるのは精神論や言い訳ばかり。即座に「この社長、ダメだ」と、社員から見切りを付けられてしまうでしょう。