再始動を宣言した中森明菜の紅白出場が大きな期待と関心を呼んでいる。実現すれば8年ぶり9回目の出場となり、1980年~90年代に人気を二分した松田聖子との共演にも注目が集まる。国際情勢からアイドル論まで幅広い評論活動で知られる白川司氏が、2人の「昭和の歌姫」について語った。
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松田聖子はデビュー当時からあらゆる面で完成されていました。歌唱力が抜群であると同時に、アイドルタレントとしての完成度も高く、還暦を迎えた現在に至るまで「アイドル」として走り続けている稀有な存在だと思います。
一方、中森明菜も歌唱力が高く、特に高音の伸びが圧倒的なのですが、低音域がやや不安定なのが難点でした。その低音域を「不安定」から「抑制」に変えたのが『飾りじゃないのよ涙は』でした。この曲で彼女は脱アイドルを果たしました。なぜなら、この曲はアイドルならざる世界観を表現すると同時に、松田聖子に対する“宣戦布告”でもあったからです。
歌詞を見ると、当時、松田聖子がヒットさせていた『瞳はダイアモンド』の最後のフレーズに対して、彼女は『飾りじゃないのよ涙は』と正面から啖呵を切っています。もちろん明菜本人にそうした意識があったかどうかはわかりませんが、『飾りじゃないのよ涙は』を作詞・作曲した井上陽水にはその意識があったと私は思っています。その後の明菜は「アイドル歌手」ではなく「歌う女優」に脱皮します。
アイドルとしての輝きが尋常ならざるレベルにあった明菜と聖子は、後に様々な非難、中傷に晒されます。極端な言い方をすれば、一時期の聖子は「日本中から嫌われた」といってもいいほどのバッシングに巻き込まれて、普通の人間なら潰れてしまうであろう嵐のような日々を過ごしています。ところがまだ二十歳そこそこの彼女は、笑顔でこれを乗り越えました。しかも、女性たちまで味方につけて、最後は還暦にして初期の代表曲『青い珊瑚礁』のPVまで披露しました。まさに強靭な精神力を持つ“アイドルのモンスター”だといえます。
では、明菜はどうか。明菜も聖子同様、精神的に厳しい状況に追い込まれ、自分を傷つけ、結局体調不良で活動休止となって事実上表舞台から降りることになりました。プライベートで辛い目にあったことがダメ押しになったものの、“モンスター級”にタフだった聖子と比べると、その地位を長く維持するには精神的にもろく繊細すぎたのかもしれません。
中森明菜と松田聖子。昭和という激動の時代をともに駆け抜けた2人が、30年という時の中でそれぞれ波乱の人生を歩み、同じにステージに立つ。もしそんな光景を見ることができたら胸が熱くなりますし、これほど胸躍ることはありません。
【プロフィール】
白川司(しらかわ・つかさ)/評論家、翻訳家。東京大学大学院博士課程満期中退。海外メディアや論文などの情報を駆使した国際情勢の分析に定評がある。著書に『14歳からのアイドル論』(青林堂)、『日本学術会議の研究』(ワック)など。
聞き手/小野雅彦