皇族としての「公」の側面と、妻・母としての「私」の側面──皇室に嫁がれてからの紀子さまは、その両面で不断の努力を続けてこられた。だが、どんなに努力を重ねても越えられない「序列」という見えない壁が、紀子さまの前に立ちふさがっている。
9月下旬、イギリスと日本で行われた2つの国葬。エリザベス女王の国葬には天皇皇后両陛下が参列され、安倍晋三氏の国葬には秋篠宮ご夫妻が参列された。
「国葬を巡って、雅子さまと紀子さまの“バッティング”が起きた格好です。同じ『国葬』とはいえ、その差は歴然としています。世論の逆風があるうえ、安倍氏の国葬にはG7(主要7か国)の現職首脳が1人も来なかったほど。
いったんは英国行きに向けて心の準備を整えようとされていた紀子さまにとって、その落差は激しかった。自分が参列するはずだったエリザベス女王の国葬で、皇后としての務めを果たされる雅子さまのお姿に対しても、複雑な気持ちを抱かざるを得なかったでしょう」(皇室記者)
雅子さまは、いまだ快復の途上にいらっしゃる。一方、雅子さまより一足早く皇室入りされた紀子さまはこれまで精力的に公務を担われてきた。
「紀子さまご本人も、皇室を代表して公務の多くを担ってきたという自負をお持ちでしょう。雅子さまがご病気でなかなか公務ができない時期にも、お出ましを続けてきた。一方で、宮家の妃である紀子さまと、皇太子妃から皇后となった雅子さまとは絶対的な序列があるのです」(皇室ジャーナリスト)
ところが今年3月17日、その「バランス」が大きく崩れるような事態が勃発した。秋篠宮家の長男・悠仁さまの中学校の卒業式と、天皇家の長女・愛子さまの成年会見の日程が、図らずも重なったのだ。
「先に決まっていたのは悠仁さまの卒業式でした。眞子さんの結婚問題から、長らく秋篠宮家には逆風が吹いていた。それを払拭する明るいニュースになるはずでした。眞子さんや佳子さまの中学校の卒業式には紀子さまのみが出席されましたが、悠仁さまの卒業式には秋篠宮さまも出席された。それほど秋篠宮家にとっても紀子さまにとっても重要な位置づけでした」(宮内庁関係者)
その晴れの日に愛子さまの会見が“バッティング”した。
「愛子さまは昨年12月に20才の誕生日を迎えられましたが、学業などを理由に会見がしばらく開かれていませんでした。あとから愛子さまの会見が同日に開催されることが決まりました。悠仁さまと愛子さまそれぞれにとっての晴れの日でしたが、メディアでの扱いの差は一目瞭然で、会見での愛子さまのご様子ばかりが目立ちました。
会見の際、雅子さまは会場となった部屋のすぐ近くの別室で待機されていたといいます。会見内容についても陛下と雅子さまが愛子さまにアドバイスを送られるなど、母娘で臨まれた会見だったわけです」(別の皇室記者)
後日、宮内庁長官は日程重複について「私のミス」「できれば別の日がよかったと個人的には思う」と謝罪する異例の事態が起きた。
「このミスはひとえに職員のコミュニケーション不足が原因です。しかし紀子さまの落胆ぶりは激しく、職員に対して、“なぜこのようなことが起きてしまったのでしょうか”と、悔しさにも似た焦燥をぶつけられたこともあったといいます」(前出・皇室記者)