シーズン56号を放ち三冠王を手にしたヤクルト・村上宗隆。大記録を前に足踏みが続いた若き大砲だが、偉業達成の背景には周囲の人々の存在があった。ノンフィクションライターの柳川悠二氏がレポートする。
* * *
ちょうど1年前の秋季熊本大会において、九州学院の2年生一塁手・村上慶太を囲む記者は誰もいなかった。熊本のゆるキャラ「くまモン」によく似た顔立ちや声は次兄・村上宗隆(22、東京ヤクルト)そのままで、身長は兄を2センチ上回る190センチ、体重100キロという立派な体躯。だが、甲子園に出場した経験はなく、全国の注目を集めるような選手ではなかった。
それでもこの日(2021年10月6日)の熊本工業戦で、慶太は先制打に加え、逆方向となる左中間への大きな二塁打を放った。九州学院はサヨナラ負けを喫し、選抜出場は絶たれたものの、熊本城公園内に構える藤崎台球場で、慶太は言った。
「常にセンターから逆方向の意識を持って打席に入っています。兄と比べられることは仕方ない。兄は兄、自分は自分ですが、将来的には兄のようにプロ野球で活躍できる選手になりたい」
ただグラウンドに立つだけで、侍JAPANのメンバーとして東京五輪で金メダルを獲得し、史上最年少となる21歳7カ月で通算100本塁打を達成したばかり(当時)の兄と比較される宿命は、高校2年生にはあまりに酷だと思ったものだ。
しかし、あれから1年を経て、慶太が置かれる状況は大きく変わった。兄が本塁打を量産すればするほど、弟に対する期待も膨らんでいったが、慶太はその期待に応えるように勝利という結果を残していく。夏の熊本大会を7年ぶりに勝ち抜き、夏の甲子園では兄が残せなかった安打と打点を記録してベスト8に。そして、10月2日の国民体育大会1回戦の聖光学院(福島)戦では、兄の55本目同様、村上家の真骨頂というべきレフトスタンドへの一発を放った。
「高校通算7本目(公式戦では2本目)です。逆方向への本塁打は……4本ですかね。打った球は外の真っ直ぐ。とにかく来たボールに対して思いっきり振るだけでした。自分の強みは、全方向に長打が打てること。チームバッティングもできると思います」
国体の前週に慶太は長兄らと共に東京に足を運び、神宮球場で東京ヤクルトの試合を観戦した。
「すごいところでプレーしているなと思ったし、ああいう舞台で自分もプレーしたいと思いました。(兄の打撃を)参考にしているというか、教えてもらうことはありますが、あっちは55本も打っていますし、異次元です」
だが、宗隆は9月13日に55号を放って王貞治氏に並んだあと、記録更新への期待に応えようとするあまり、極度の不振に陥っていた。東京ヤクルトがリーグ優勝を決めた9月25日も寿司屋で食事を共にし、兄弟で100貫は口に運んだという。
「ふたりで50貫ぐらいずつ(笑)。お兄ちゃんは(記録更新への)プレッシャーがある。野球の話をするのもあれかなと思って、兄弟の話をしただけでした」
慶太の“気遣い”、そして国体で放った一発は、結果として兄への援護射撃にもなったのかもしれない。宗隆は翌日のシーズン最終戦・横浜DeNA戦で、56号をライトスタンド上段に叩き込み、そして三冠王の座に就いた。