JR只見線が、11年前の豪雨被害による不通から10月1日に全線開通した。JR東日本、自治体、住民の熱意が一つでも欠けていたら、奇跡の全線復活はなかっただろう。
2011年7月、福島県と新潟県を襲った集中豪雨は線路、鉄橋をのみ込んだ。沿線は河川の氾濫や土砂崩れにより甚大な被害を受け、特に会津川口駅~只見駅間は第5、第6、第7の3つの橋梁が流失し、瀕死状態だった。翌年までに他の区間は復旧・運行再開したが、会津川口駅~只見駅間27.6キロは不通となり、今年9月末までバス代行輸送が続いた。
不通区間をよみがえらせ、全線再開通を果たすまでの11年間の軌跡は、平坦ではなかった。まず、約90億円という巨額の復旧工事費の問題が立ちはだかった。同区間は被災前から超赤字区間であり、2009年度は年間運賃収入500万円に対し、営業損益3億2900万円。採算面からJRは復旧に慎重にならざるを得なかった。
「バス転換が地域にとっても利便性が高まると提案し、JR東日本が全額負担しての鉄道復旧は困難との考えを地元自治体に伝えました。運行を継続するには地元負担も必要と示しました」(JR東日本)
不通区間の廃線か、復旧か。6年間にわたる協議を経て2017年6月、復旧後には福島県が鉄道施設と土地を保有し、JR東日本がその施設を借りて運行・メンテナンスを受け持つ「上下分離方式による鉄道復旧」で合意した。
しかし、翌年始まった復旧工事も難航の連続だったという。
「工事に最も長くかかったのは、地質が想定より悪いと判明した第6只見川橋梁で、約4年を要しました。国道トンネル工事とも重なり、作業ヤードの調整などの協議も難航しました」(同前)
復旧費は最終的にJR、地元自治体、国で3分の1ずつの負担で決着した。赤字を分担しながら利用者増と地方創生の願いを乗せて走る只見線。全国各地の不採算ローカル線が生き残る試金石となるか。
※週刊ポスト2022年10月21日号