球界を代表する投打のスターがぶつかり合うのが日本シリーズの醍醐味だ。やっぱり日本シリーズは面白い──そう思わせてくれた1958年の西鉄対巨人の日本シリーズの名勝負を振り返る。第1戦から3連勝を飾った巨人だが、第4戦が雨で1日順延となったことで戦いの潮目が変わった。(文中敬称略)【全3回の第2回。第1回から読む】
西鉄は順延の1日だけ休んだ稲尾和久が中1日でマウンドに上がったが、勢いに乗る巨人が初回無死満塁から長嶋茂雄の犠飛で先制。その後も3対0と差をつけたが、西鉄がここからひっくり返す。打者・稲尾が押し出しの四球を選び同点に追いついた勢いで、6対4と逆転勝利。126球で完投した稲尾は勝ち投手となった。
「そこからの稲尾の活躍は凄まじく第5戦、第6戦も稲尾は救援登板、先発と投げて3試合連続で『勝ち投手』に。完封を許した第6戦では、長嶋は4打数無安打1三振と完璧に抑え込まれました。
最終第7戦も稲尾が先発。巨人は9回に長嶋茂雄がランニングホームランを放って完封こそ防いだが、稲尾は勝ち投手になり、チームの勝ち星をすべて1人で挙げた」(スポーツジャーナリスト)
このシリーズで稲尾は7試合中6試合に登板。578球を投げ、西鉄は3連敗から「奇跡の4連勝」を果たした。当然ながらMVPを受賞したのは稲尾だった。
この時、西鉄打線の主砲だった中西太が当時の稲尾と長嶋の戦いを語る。
「稲尾君は何よりピッチングに力みがなかった。それは足腰のバネが強くて、コントロールが良かったということ。とくに外角へのコントロールは絶妙だった。いずれにしても『短期決戦』で打たれないピッチングができるピッチャーだった。そこが向こうと差を分けたのかもしれない。何より稲尾君は一度寝ると何時間でも寝られるという神経の図太いところがある男だったからね」
このシリーズで稲尾と“心中”した西鉄。現代では考えられないような無茶な連投にも、チームを率いる三原脩監督なりの哲学があったという。
「三原監督は“花は咲きどき、咲かせどき”という方針で、何でもかんでも稲尾一辺倒ではなく、勝てると判断して投入していた。練習でも作戦面でも三原監督は無駄なことや意味のないことはやらない人でしたから。
特に短期決戦での選手の使い方が上手かった。三原監督は九州の田舎チームが大巨人軍を相手に戦うという晴れの舞台で、稲尾を全国に売り出そうという狙いがあった。それがツボにハマったというか、稲尾が期待に応えたということ。稲尾は本番に強い選手で、それを監督は見抜いていた」(前出・スポーツジャーナリスト)