年寄りには無理ですね。
事故現場は最寄り駅である相鉄線の天王町駅から国道16号線方面に向かって歩いてすぐ、洪福寺および洪福寺バス停のある、信号機のない交差点である。
現場をぐるっと見渡してみる。仲本さん、これを渡るのはさすがに無茶だ。右折、左折、直進の3つの道が走っており、道幅が広く取られていて見た目以上に幅がある。交通量も多く、昼夜を問わず車のスピードは速い。
事故のあった交差点に信号機はないが、20メートル先に国道16号線の洪福寺交差点がある。信号機は目の前。それでも、たった20メートルでも面倒、と思ってしまったのだろうか。
仲本さんは81歳、高齢者にとっては20メートルでもそう思わされてしまうのかもしれない。駅側にも天王町商店街の信号機のある交差点と西横浜駅入口交差点の信号機がある。天王橋から16号線までの区間、ちょうど事故現場の交差点にだけ信号機がないのだが、この辺から右折レーンが加わる。16号線への合流とあって右折レーンの車列は長く伸びる。ここに信号機を設置するのは現実的ではないだろう。
洪福寺バス停で待つ女性にお話を伺う。古い地元の方ということ。ここで人身事故というのは聞かないが、渡る人はいると話す。
「小さな飲み屋さんの多い場所ですから、酔った方でフラフラ道路に出ちゃうとかって人は昔からいましたよ。若い人は走って渡るとか、そういう危ない人は昔から見ますけど、年寄りには無理ですね。それに目の前にすぐ信号はありますから。どうしてここを渡っちゃったのかしら」
彼女もご高齢ということで、他人事ではないとのこと。
「体力も注意力も落ちてますからね、若い時と同じように考えていると危ないです。仲本工事さん、奥様の店があるからいらっしゃったのでしょうね」
この交差点を入ってすぐのところに、仲本さんの妻、純歌さん(54)が経営するカレー店がある。仲本さんは三度目の結婚だが、純歌さんにぞっこんで、かつては目黒の店で仲睦まじい姿がたびたび報じられた。その目黒の店の2階が現在の仲本さんの住まいだが、目黒からこの天王町まで日々通っていたのだろう。
事故現場、交差点の片隅にはたくさんの花束とお酒、菓子などが手向けられていた。通りがかりに手を合わせる方も多い。「ここが仲本工事さんの、ですか?」と筆者に聞く方もいた。日本のお茶の間を席巻したドリフターズ、そのメンバーである仲本工事が死んだ。志村けんさんとの「最初はグー」のじゃんけん対決、実は高木ブーさんより、いてもいなくてもよかったような気がする「雷様」の赤、都大会2位の元体操選手としての華麗なるバク転、あの仲本工事が死んだ。
筆者の幼少期、メガネの面白いお兄さんといえば仲本工事だった。渋谷生まれで名門、都立青山高校から学習院の政経という毛並みの良さは中大経済卒のブーさんとともに、いわゆる5人体制以降のドリフにおける「静」の部分を担っていた。もちろん「動」は志村さんと加藤茶さんである。これで「私たちのドリフターズ」も、残るはブーさんと加トちゃんだけになってしまった。
ただし、仲本さんを轢いてしまった福祉施設のドライバーの方も気の毒だ。この道路で81歳の高齢者が渡っているという状況は想像し難い。相手が有名人だけにショックも大きいだろう。結果論で責めるに忍びないが、日本中を楽しませた仲本さん、最後に残念な結果となってしまった。
きっと長さんは「あんちゃんだよ」「おまえのあんちゃんだよ」と迎えに来ただろう。もちろん天国についたとたん、「バカだなおまえは」と叱られたことだろう。仲本さんは生前、会いたい人は亡くなったお母さんといかりやさん、と答えていた。
昭和、平成、令和と笑いに生きたドリフのインテリメガネ、仲本工事。
いまごろ志村さんとも「最初はグー」で股間に墨汁やらペンキやらを入れ合っているのかもしれない。願わくは、雷様が足りないからとブーさんを呼ぶのはもう少し待って欲しい。加トちゃんサンタも呼ぶには早い。
バカ兄弟ありがとう。心よりご冥福をお祈りする。
【プロフィール】
日野百草(ひの・ひゃくそう)日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。社会問題、社会倫理のルポルタージュを手掛ける。