開業前の大軌はまだ運賃収入がなく、生駒山を貫くトンネルは難工事になった。工事費用がかさみ、大軌は資金難に陥ってしまった――そこに救いの手を差し伸べたのが、生駒山中に寺を構えていた宝山寺といわれる。大聖歓喜天を祀る宝山寺は大阪からも参詣者を集める有名な寺院だったこともあり、潤沢な賽銭収入があった。この賽銭を大軌に貸し、その資金によって見事に生駒トンネルの掘削を完遂させた。ケーブルカーは宝山寺の参拝客輸送を見込んだものとされているが、近鉄の宝山寺への恩返しという意味も込められている。
これは地元民や鉄道マニアの間に流布している有名なエピソードだが、実のところ史料的な裏付けは乏しく、近年ではそうした事実はなかったとする説が有力になっている。
1918年に近鉄は鳥居前駅―宝山寺駅間でケーブルカーの運行を開始。1929年には、宝山寺駅から生駒山上を目指す山上線も開業した。山上線の終点となる生駒山上駅前には大軌が経営する生駒山上遊園地がオープンした。
宝山寺線と山上線の2路線は、宝山寺駅で乗り換えが必要になるなど別々の路線となっている。しかし、両路線を乗り継ぐ利用者も多く、一括して生駒ケーブルと呼ばれる。
宝山寺駅の周辺には住宅街が広がっているため、宝山寺線はケーブルカーでは珍しい通勤路線という顔を持つ。他方、山上線は遊園地のアクセス路線としての役割を果たしている。
鉄道と遊園地を一体化の先駆け
遊園地のオープンにより生駒ケーブルの利用者が増加したことは言うまでもないが、生駒ケーブルは単なる遊園地へと足を運ぶための移動手段にとどまらない。
「宝山寺線は2000年に車両を更新し、新型車両はイヌ型の”ブル”とネコ型の”ミケ”に変わりました。これは前年に”IPCわんにゃんふれあいパーク(現・IPCペットふれあいの森)”というイヌやネコと遊べるアトラクションを開設したことがきっかけです。また、山上線もオルガンをモチーフにした”ドレミ”とバースデーケーキをモチーフにした”スイート”へと変更しています。これらはケーブルカーに遊園地の世界観を盛り込むことで、移動手段である鉄道と遊べる遊園地を一体化する意図を込めています」(同)