ライフ

【逆説の日本史】明治の日本人が常に注視し「常識」として知っていた「世界史の現場」

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第九話「大日本帝国の確立V」、「国際連盟への道3 その3」をお届けする(第1358回)。

 * * *
 前号から「フランス混乱史」を続ける意図はわかっていただけたと思うが、念のため繰り返すと日本は明治以降「世界史のメンバー」であって、ヨーロッパ情勢と「日本史」は不可分の関係にある。にもかかわらず、多くの日本人はクリミア戦争が日露戦争にどれだけ大きな影響を与えていたかも深く認識していない。そもそもクリミア戦争にロシアが勝っていたら、当然ロシアはアジアよりもイスタンブール進出を優先しただろうから、あんな形で日本とロシアが決戦することも無かったかもしれないのだ。

 この「世界史の現場」を、当時の日本人は常に注視していた。大久保利通のような大物だけでは無い、まだ当時は「若造」だった桂太郎や西園寺公望も、だ。彼らは前回扱い今回も扱う「歴史」は常識として知っており、それが後に政治家としての理想や決断に強い影響を与えたのだから、われわれも当然それらを知っておくべきなのだ。ましてや「国際連盟への道」を語るためには、それが絶対必要だ。とくに国際連盟に関しては、その成立時には死亡していた桂では無く、唯一の元老としてこの問題に関与した西園寺の「常識」をつぶさに知っておく必要がある。

 そこでまず認識しなければならないのは、ナポレオン3世という君主がじつは名君であり、当時の日本が見習うべきところが多々あった、という事実である。現代の日本人には、ナポレオン3世が名君であったという認識は乏しいのではあるまいか。多くの人が、所詮彼は偉大なる伯父ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト)の人気に乗じて出現した「亜流」あるいはトリックスターと見ている。

 しかし、そうでは無い。ナポレオン3世の「第二帝政」は約二十年続いたが、前半の十年はともかく後半の十年は、イギリスに続くフランスの産業革命が完成した時期だった。それは他ならぬナポレオン3世の功績なのである。

 時代に対応してフランスを保護貿易から自由貿易体制に転換させ、イギリスにくらべて劣っていた鉄道の敷設などを初めとして、資本主義国家にとって絶対必要なインフラの整備を促進したのもナポレオン3世だ。同じく、資本主義国家にとって欠かせない銀行制度の整備、金本位制の確立を進めた。また前回述べたように、パリの大改造を実行し近代的都市に生まれ変わらせ、そのパリで一八五五年と六七年の二回万国博覧会を開催し、世界にフランスの国威を示した。だからこそ、六七年の万博に徳川昭武の随行員としてパリを訪れた渋澤栄一はその発展ぶりに驚嘆し、その経験を後に東京改造に生かしたのだし、その主君である徳川慶喜は将軍だったときはナポレオン3世から贈られた洋式軍服をいつも着用していた。慶喜もナポレオン3世を模範としていたのだ。

 また、明治になってからフランスに留学した松方正義が手本とした銀行制度も、元はと言えばナポレオン3世が構築したものだ。それだけでは無い、パリが改造計画によって生まれ変わった一八五二年、その一角にアリスティッドとマルグリットのブシコー夫妻が、パリ万博にヒントを得たショーウィンドウによる商品展示やバーゲンセールなどを行なう新しいタイプの大規模小売店「デパート(百貨店)」を開業した。店名は「ボン・マルシェ」。フランス語で「安い!」という意味だそうだ。これもあって、パリは世界のファッション流行の発信地となった。つまり「花の都パリ」を作ったのも、ナポレオン3世なのだ。

 このようなタイプの君主は得てして富裕層には寛大な反面、労働者階級には冷淡なものだが、ナポレオン3世は労働者の団結権を禁止した法を廃止し限定的ではあるが労働者のストライキ権も認めた。それに伴い一八六四年には、あのカール・マルクスが創立宣言を起草した第一インターナショナル(国際労働者協会)の支部(本部はロンドン)もパリに作られた。特筆すべきは、ナポレオン3世はこれを弾圧したり廃止しようとはしなかったことだ。

 外交政策では、イギリスと同盟してクリミア戦争を戦ったことも重要である。思い出していただきたい。彼の伯父ナポレオン1世を没落に追いやったのは誰だったか? イギリスではないか。しかも、英領セントヘレナ島に流されたナポレオン1世が死んだときには、イギリスによる毒殺ではないかとの噂すら流れた。ナポレオン3世が国益より個人的感情を優先する人間なら、「伯父の敵」であるイギリスと絶対に組むはずが無い。しかしナポレオン3世はそれを実行し、見事にロシアの意図を粉砕した。それも名君の証ではないか。

 ところが、西園寺公望がパリに到着した一八七一年(明治4)二月、その前年の七〇年に第二帝政は崩壊しており、そればかりかナポレオン3世の人気も地に堕ちていた。公望は仰天したに違いない。ナポレオン1世の第一帝政もたしかに崩壊したが、その後いわゆる「百日天下」で1世は復権を一時的だが果たした。すなわち、帝政崩壊にもかかわらず人気は衰えなかったのである。3世の場合はなぜ人気を失ったのか? 「花の都パリ」を実現した人物なのである。奇々怪々ではないか。

 あなたが公望の立場だったら、なぜそうなったかを徹底的に解明しようとするだろう。もちろん彼はそうした。結果、それは彼の貴重な政治体験となった。まさに留学の成果だ。だからこそ、この前後の事情は詳しく知る必要がある。

関連キーワード

関連記事

トピックス

若手俳優として活躍していた清水尋也(時事通信フォト)
「もしあのまま制作していたら…」俳優・清水尋也が出演していた「Honda高級車CM」が逮捕前にお蔵入り…企業が明かした“制作中止の理由”《大麻所持で執行猶予付き有罪判決》
NEWSポストセブン
「正しい保守のあり方」「政権の右傾化への憂慮」などについて語った前外相。岩屋毅氏
「高市首相は中国の誤解を解くために説明すべき」「右傾化すれば政権を問わずアラートを出す」前外相・岩屋毅氏がピシャリ《“存立危機事態”発言を中学生記者が直撃》
NEWSポストセブン
3児の母となった加藤あい(43)
3児の母となった加藤あいが語る「母親として強くなってきた」 楽観的に子育てを楽しむ姿勢と「好奇心を大切にしてほしい」の思い
NEWSポストセブン
「戦後80年 戦争と子どもたち」を鑑賞された秋篠宮ご夫妻と佳子さま、悠仁さま(2025年12月26日、時事通信フォト)
《天皇ご一家との違いも》秋篠宮ご一家のモノトーンコーデ ストライプ柄ネクタイ&シルバー系アクセ、佳子さまは黒バッグで引き締め
NEWSポストセブン
過去にも”ストーカー殺人未遂”で逮捕されていた谷本将志容疑者(35)。判決文にはその衝撃の犯行内容が記されていた(共同通信)
神戸ストーカー刺殺“金髪メッシュ男” 谷本将志被告が起訴、「娘がいない日常に慣れることはありません」被害者の両親が明かした“癒えぬ悲しみ”
NEWSポストセブン
ハリウッド進出を果たした水野美紀(時事通信フォト)
《バッキバキに仕上がった肉体》女優・水野美紀(51)が血生臭く殴り合う「母親ファイター」熱演し悲願のハリウッドデビュー、娘を同伴し現場で見せた“母の顔” 
NEWSポストセブン
六代目山口組の司忍組長(時事通信フォト)
《六代目山口組の抗争相手が沈黙を破る》神戸山口組、絆會、池田組が2026年も「強硬姿勢」 警察も警戒再強化へ
NEWSポストセブン
木瀬親方
木瀬親方が弟子の暴力問題の「2階級降格」で理事選への出馬が絶望的に 出羽海一門は候補者調整遅れていたが、元大関・栃東の玉ノ井親方が理事の有力候補に
NEWSポストセブン
和歌山県警(左、時事通信)幹部がソープランド「エンペラー」(右)を無料タカりか
《和歌山県警元幹部がソープ無料タカり》「身長155、バスト85以下の細身さんは余ってませんか?」摘発ちらつかせ執拗にLINE…摘発された経営者が怒りの告発「『いつでもあげられるからね』と脅された」
NEWSポストセブン
結婚を発表した趣里と母親の伊藤蘭
《趣里と三山凌輝の子供にも言及》「アカチャンホンポに行きました…」伊藤蘭がディナーショーで明かした母娘の現在「私たち夫婦もよりしっかり」
NEWSポストセブン
高石あかりを撮り下ろし&インタビュー
『ばけばけ』ヒロイン・高石あかり・撮り下ろし&インタビュー 「2人がどう結ばれ、『うらめしい。けど、すばらしい日々』を歩いていくのか。最後まで見守っていただけたら嬉しいです!」
週刊ポスト
2021年に裁判資料として公開されたアンドルー王子、ヴァージニア・ジュフリー氏の写真(時事通信フォト)
《恐怖のマッサージルームと隠しカメラ》10代少女らが性的虐待にあった“悪魔の館”、寝室の天井に設置されていた小さなカメラ【エプスタイン事件】
NEWSポストセブン