雨予報から一転して広がった青空は、天皇皇后両陛下の沖縄訪問を歓迎しているかのようだった。10月22日午後、両陛下を乗せた飛行機が沖縄・那覇空港に到着した。季節外れの焼け付くような暑さの中、空港近くの沿道には100人ほどが集まった。
「雅子さまが沖縄にいらっしゃるのは久しぶりなので、どうしても一目見たいと、車で45分かけてきたんです」(うるま市在住の40代主婦)
雅子さまの訪問を心待ちにしていた県民たちの目の前を、両陛下を乗せた車が通り過ぎていく。笑顔の雅子さまは、車窓からのり出さんばかりに手を振り続けられていた──。雅子さまの沖縄訪問は1997年以来25年ぶり。陛下にとって即位後初めての機会だった。
先の大戦で多くの民間犠牲者を出す激戦地となり、戦後長らく“日本ではない場所”とされた沖縄は、皇室にとって特別な「約束の地」だ。戦後、全国を回った昭和天皇が唯一訪れることができなかった場所であり、1975年、上皇ご夫妻(当時は皇太子ご夫妻)に向けて火炎瓶が投げつけられた「ひめゆりの塔事件」が起きたのも、沖縄での出来事だった。雅子さまは今回の1泊2日の滞在中、一般の人々と交流されるご様子の随所で、沖縄と皇室の歴史を背負われるご覚悟を示された。
22日午後、両陛下は糸満市の国立沖縄戦没者墓苑に足を運ばれた。供花の後、戦没者遺族らと対面された雅子さまはダークネイビーのスーツをお召しになり、一人ひとりと目を合わせ、言葉を交わされた。県遺族連合会顧問の照屋苗子さん(86才)が話す。
「雅子さまは、『貴重な話をお聞かせいただいてありがとうございます』とおっしゃいました。こちらこそ“聞いてくださってありがとうございます”なのに……。恐縮しながらも、本当に感動しました。両陛下は、上皇ご夫妻の沖縄への思いを受け継がれていると感じました」
一方、遺族との対面時にはアクシデントもあった。
「暑さのせいもあったのか、高齢の遺族男性がよろめき、倒れそうになったのです。その異変を真っ先にお感じになったのが雅子さまでした。さっと手を差し出され、それを見た職員らが男性のふらつきに気づいて後ろから支えて事なきを得た。周囲をよくご覧になっている雅子さまならではのことでした」(皇室記者)
翌23日、両陛下は午前中に国民文化祭の開会式に出席された。陛下はベージュのスーツに沖縄の伝統的な織物で作られたネクタイを合わせられ、雅子さまはそのネクタイとリンクしたイエローのスーツをお召しになり、熱心に拍手を送られていた。
同日午後には伝統工芸にかかわる施設「おきなわ工芸の杜」で、ワークショップをご覧になった。ここでは、陛下はかりゆし姿、雅子さまは青を基調とした細かな柄の入ったワンピースにジャケットを合わせられていた。作業を案内した小田原短期大学准教授の屋宜久美子さんが話す。
「沖縄の山をテーマにした壁画のワークショップをご覧いただきました。雅子さまは優しく“絵はよく描かれるんですか?”“どこを製作されたんですか?”などと一人ひとりに声をかけてくださいました。当初は1~2人に声をかけられる予定でしたが、結局10人以上いた全員と会話され、滞在時間がオーバーしてしまいました」